2010-09-01から1ヶ月間の記事一覧

第17回 精力善用国民体育

徳育としての体育に関し、最後に、嘉納が、昭和2年(1927年)、数え年68歳のときに考案した精力善用国民体育についてみていきたい。 新しい体育の模索 嘉納は、野球のほか様々な体育を自ら試し、また常日頃新しい体育を考えていたが、嘉納がどのような体育を…

第16回 欧米のオリンピックを世界のオリンピックにしたいと思った。

引き続き徳育としての体育をみていきたい。嘉納は、1.柔道を創り、2.日本にオリンピックをもたらし、3.精力善用国民体育を創った。このほか、高等師範学校の体育を盛んにしたり、体育科を作って体育教師の育成も行っているが、今回は、オリンピックについ…

第15回 米国イリノイ州ネーパーヴィルの奇蹟

前回は、運動の脳に対する効用にふれ、徳育としての体育の有効性の実証されつつあることを述べたが、今回は、ネーパーヴィルの奇蹟と評される、1999年の国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)において理科が世界1位、数学が世界6位になった、米国イリノイ州のネ…

第14回 SPARK

道徳的人間を育成する方法としての体育、いわば、体を鍛えて心を鍛えるという方法は、近年、脳の研究が進むにつれて、改めてその意義が明らかになってきている。今回は、この脳の研究をみていきたい。 『脳を鍛えるには運動しかない!』 人生において成功す…

第13回 道徳は独立の課目としては教えない。

嘉納は、何故、道徳的人間を育成する方法として体育を選んだのか。第13回は、この嘉納の方法論を三つの点からみていく。先に結論を言うと、第一は、体育は生徒と教師の相互コミュニケーションの機会が多いということ、第二に、徳育としての体育は英国で既に…

第12回 本当に耳にタコができるぐらいお話をされていました。

さて、本稿のテーマは「柔道が人間教育として効果を発揮するためにはどうしたらいいか。」という点にあるが、これまで「嘉納はどのような人間をつくろうとしているのか。」という点についてみてきた(第1回参照)。 嘉納がつくろうとした人間像を語るにはま…