第31回 これからの教育からみた柔道(3)

前回みたように、DeSeCoは次のように考えた。

  • 「人生の成功」と「正常に機能する社会」のためには「認知的要素」(知識、情報処理能力等)とともに「非認知的要素」(態度、価値観、モチベーション等)の開発が必要である。
  • 特に、「道具を相互作用的に用いる」「異質な集団の中で交流する」「自律的に活動する」というキー・コンピテンシーには、非認知的要素の開発が必要不可欠である。
  • しかし、現在の教育では「非認知的要素」が開発されていない。
  • したがって、「認知的要素」とともに「非認知的要素」が開発される教育システムに転換しなければならない。
  • このような背景のもと、キー・コンピテンシーの中心(=これからの教育目標の中心)には、「認知的要素」と「非認知的要素」がともに開発され、精神的・道徳的に成熟したことを表す''reflectiveness''をおいた。

それでは、このDeSeCoの方針は、これからの柔道のあり方にどのような示唆を与えるだろうか。

嘉納とDeSeCoの類似性

端的にいうと、この2003年に最終報告を出したDeSeCoの方針は、約120年前の1882年、講道館を設立し、学習院の教師となった嘉納の考えとほとんど同じである。

嘉納もまた「人類の共栄」のためには「非認知的要素」の開発(徳育)が必要であると考え、教育者となり、柔道を作り、その他様々な活動を行ったのである。

嘉納の活動は後ほどみるが、例えば、嘉納は、教師を育成する専門大学を設立し、日本の教師育成システムの改善して効果的な徳育を築こうと奮闘した。このとき、嘉納は、貴族院議員として次のように議会で話している。

然るに今の大学の大体の模様は、唯学問の研究ばかり没頭して、学識を得よう知識を習得しようとしている人が多い。訓育の上、品性の上などについて優れている人はその割に尊ばれていない。

こういう傾向であるから、全国の中等教育は悉く皆知識本位となり、小学校にもそれが伝播している。中等学校、小学校までが予備校のように化けて来たならば、どうして本当の国民教育が出来るか。又どうして本当の国家の中堅となる人間を造ることが出来るか。

教育者は人間を造ることを目的とせねばならぬ。そうして人間を造るに必要な素養、又は精神を養わねばならぬ。それが師範大学というか教育大学というか、高等師範学校を基礎として権威ある教育機関が出来なければならぬという主張のあった所以である(加藤仁平・嘉納治五郎208〜209頁)

日本の教育が予備校のように化け、非認知的要素の開発がおなざりになっている現状を批判し、「教育者は人間を造ることを目的とせねばならぬ。」という嘉納の主張は、精神的、道徳的な成熟性(reflectiveness)を教育目標の中心においたDeSeCoとほとんど同じだろう。

以下、DeSeCoを念頭におきながら、嘉納の考えや活動をみて最後に柔道についてふれたい。

嘉納が目指したもの

嘉納は、講道館の門人から次のように評されている。

先生の理想郷は、全世界の人類がいずれも健やかに、各々そのところを得て幸福を味わいうる、仏教でいう極楽の如き世界であった。先生は、酒は禁ずることはいらない。丁度よいだけ、過不足ないだけやればよいのだといわれた。それこそ先生の真の柔道である。先生の伝記を書くものは、単なる柔道の修行法の一部である乱取試合の格闘技の師範と誤記しないよう、無為無心、超然として天地とともにあられた先生の御心持を十分に伝えて、後学万民の良き指導者としてほしい。(加藤仁平・嘉納治五郎・234頁)

この門人が酒についての嘉納の教えに着目しているところが味わい深いが、いずれにせよ、嘉納は「単なる柔道の修行法の一部である乱取試合の格闘技の師範」ではない。

「人類の共栄を図らんことを期す」(講道館文化会の宣言)とし、「全世界の人類がいずれも健やかに、各々そのところを得て幸福を味わいうる、仏教でいう極楽の如き世界」を築き上げようとした人物である。

余談

少々話が脇にそれるが、嘉納が「単なる柔道の修行法の一部である乱取試合の格闘技の師範」ではなく、「極楽の如き世界」を築こうとした人である、このことを認識することは潜在的に大きな効果があるのではないだろうか。

柔道に縁のない一般の人々には知られていないが、嘉納は世界中の無数の柔道関係者から師と仰がれている(嘉納ほど著名な日本人は数少ない)。それでは、その師である嘉納とは一体何者であったのか。

嘉納とは「極楽が如き世界」を築き上げようとし、その道半ばで逝った人である。嘉納を師を仰ぐ者は、意識するか否か別として、自らを嘉納の弟子と認識していることになるが、それでは、師が志半ばで逝ったならば弟子は何をするのだろうか。

本稿が「柔道が教育として十分に機能するためにはどうしたらいいか?」というテーマであるにも関わらず、過去の人物である嘉納に着目する理由は、近年、嘉納に立ち戻ることによって教育を再生させようという試み(柔道ルネッサンス)が行われているように、類稀な原点を柔道がもっているからである。

高等師範学校にて嘉納から直接指導を受けた教育学者の加藤仁平氏は次のようにいう。

先生は人類社会にとっての教育の意義の偉大さと天下の至楽たることとを発見し体現されたのである。そしてその信念によって、私どもを第二、第三の嘉納治五郎たらしめようと精魂をこめて指導していて下さるのである、ということがわかった(加藤仁平・嘉納治五郎259〜261頁)

嘉納が何者であったかを知り、自らを志半ばで逝った嘉納の弟子と認識するならば、第二、第三の嘉納治五郎が生まれていく、すなわち、柔道教育の再生は、嘉納とは何者だったかを知ることから始まるのではないだろうか。

徳育

それでは、嘉納はどのようにして「極楽の如き世界」を築き上げようとしたのか。

嘉納が選んだ方法は、政治でもなく、宗教でもなく、経済でもなく、軍事でもない。教育によって、しかも、徳育によってである。嘉納は普通教育における徳育こそ「極楽の如き世界」をつくる方法であると考えた。

嘉納が何故徳育を選んだかについては、本稿第2回第2回 三つ児の魂百まで - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜でふれたが、補足すると、徳育によって人が幸せになるメカニズムについて、次のようにいう。

道徳の最も高い域に進んだ人は、おのれの欲することをすれば、それが他人のためにも、社会のためにも国家のためにも人類のためにもなるのである。善いことをすれば満足する。よしや自己の肉体上の満足を図る場合があっても、それが最も高い精神上の満足を得る手段として必要であるからである。

これに反して、道徳上の最も低い位置にあるものは、自己の欲するところは事ごとに他人の利益を衝突し、社会国家人類の福祉と矛盾する。それゆえに、道徳の高い人は、他のためになること、すなわち徳行することが、自身の満足と一致する。道徳の低い人は、もし道徳を行うとか、正しいことをしようと思えば、絶えず苦痛を感ぜざるを得ぬのである。この相違が修養の出発点である(嘉納・体系第9巻157頁)

道徳のレベルが高ければ豊かな生活を送ることができ、道徳のレベルが低ければ、「自己の欲するところは事ごとに他人の利益を衝突」する苦しい生活を送ることになる。そこで、嘉納は、徳育によって万民の道徳のレベルを上げて、「極楽の如き世界」を築こうとしたのである。

(参考)第7回:幸せについて第7回 心の欲するところに従い、矩を踰えず。 - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜

これは、DeSeCoが、万民の''flectiveness''のレベルを上げて、「人生の成功」と「正常に機能する社会」を築こうとしたこととほとんど同じだろう。

嘉納の方法

では、嘉納は、どのような方法で道徳、''reflectiveness''のレベルを上げようとしたのだろうか。

まず、嘉納は、OECDがDeSeCoプロジェクト始めたように、教育の成果を適切に定義しなければならないと考えた。そこで、嘉納は40年近くかかって「精力善用・自他共栄」というコンセプトを創りあげた。

それでは、嘉納は、この定義した「成果」を達成するためにどのような方法をとったのだろうか。

嘉納の方法は、大別して二つある。

一つは、徳育を担う優れた教師を育成することである。嘉納は、30歳から60歳弱までおよそ30年、教師を育成する学校(東京高等師範学校)の校長として教師の育成に努め、師範学校設立に奮闘するなど、国の教師育成システムを改善しようと試みた。

フィンランドは、PISA(DeSeCoの定義した教育の成果の一部を測定する)において、トップクラスの成績を取り、優れた教育システムを有すると評価されているが、その最も大きい要因の一つは、同国の教師はすべて大学院において専門教育を受けている点にあるという。もし、嘉納の主張したとおりに師範大学ができていたら、今の日本はもっと違ったものになっていたのではないだろうか。

もう一つが体育である。「嘉納治五郎」を著した教育学者の加藤仁平氏は、次のようにいう。

当時、一般の用語としては、知育・徳育・体育といい、教育学概論などでは、養護・教授・訓練といっていた。嘉納は、その順に反対であった。重要性からいえば、徳育・体育・知育であり、教育の順序からいえば、体育・徳育・知育であると言っていた。この独自の立場に立ったからこそ、講道館柔道の創始者となり師範教育の総帥となり、学校体育の父ともなったのであろう(加藤仁平『嘉納治五郎』154〜155頁)。

「重要性からいえば、徳育・体育・知育」、「教育の順序からいえば、体育・徳育・知育」という「独自の立場」、つまり「徳育としての体育」こそ嘉納の第三の方法である。

嘉納は、「徳育としての体育」を万人に提供し万人の道徳、reflectivenessのレベルを上げることによって、「極楽の如き世界」を築き上げようとしたのである。

この「徳育としての体育」のために、まず柔術を改良して柔道を作った。次に、柔道では万人に体育を提供できないと考え、日本をオリンピックをもたらすことによって西洋スポーツを盛んにした。さらに晩年には「精力善用国民体育」という、現在でいうラジオ体操のように気軽に毎日できる運動を考案している。

(参考)本稿の第12回〜第18回参照

オリンピック

なお、話が脇にそれるが、この時代、「徳育としての体育」という手法を確立していたのが大英帝国である。嘉納より60年以上早く生まれた、英国パブリックスクールラグビー校のアーノルド校長が、当時、低俗な遊びと認識されていたフットボール徳育の方法として取り入れたのが始まりといわれている(ただ諸説あるようである)。

オリンピック創始者の仏国のクーベルタンは、英国を訪問し、このアーノルド校長のつくった「徳育としての体育」こそ大英帝国の力の源泉であると発見し、これを世界に普及させるためにオリンピックを始めた。

このクーベルタンが英国を訪問し英国の「徳育としての体育」を発見したちょうどその頃、嘉納は、講道館を設立し、スポーツを軸とした英国とは別の、武術を軸とした「徳育としての体育」を創りあげた。

このような背景を経て「武術を軸とした徳育としての体育」を作り上げた嘉納と、「スポーツを軸とした徳育としての体育」を世界に広めようとするクーベルタンが出会い、嘉納は「ヨーロッパのオリンピック」と「世界のオリンピック」にしようとオリンピック委員となりオリンピックの発展に力を尽くすのである。

徳育としての体育の有効性

話を戻し、では、何故、嘉納は「徳育としての体育」という方法を選んだのか。

それは、嘉納が柔術の稽古をした結果、道徳、reflectivenessのレベルが上がったことを自ら実感したからに他ならない。嘉納は次のようにいう。

自分はかつては非常な癇癪持ちで容易に激するたちであったが、柔術のため身体の健康が増進するにつれて、精神状態も非常に落ちついてきて、自制的精神の力が著しく強くなって来たことを自覚するに至った。
また、柔術の勝負の理屈が、幾多の社会の他のことがらに応用の出来るものであることを感じた。さらに勝負の練習に付随する知的練習は、何事にも応用し得る一種の貴重なる知力の練習であることを感じるに至った。

だからこそ、嘉納は「かかる貴重なものは、ただ自ら私すべきものではなく、弘くおおいに人に伝え、国民にこの鴻益を分かち与うべきであると考え」て柔道を創ったのである。

脳と運動

身体を鍛えることは精神を鍛えるにつながる。
このことは経験的には多くの人が知っているかもしれない。
しかし、これは本当なのだろうか。英国ラグビー校のアーノルド校長、オリンピック創始者クーベルタン、そして嘉納、彼らが選んだ「徳育としての体育」は、本当に、人の道徳、reflectivenessのレベルを上げるのか。

この答えは、ごく最近分かってきた。
脳の研究が進み、運動が脳に与える影響がわかってくることによって、身体と精神が本当につながっていたことが実証されつつあるのである。例えば、定期的な運動によってうつ病患者の約60%が治ったという研究結果はその典型だろう。

(参考):第14回第14回 SPARK - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜

DeSeCoプロジェクトを終えたOECDは、脳の研究の知見を教育に生かそうとする研究をはじめたが、そこで次のように報告している。

比較的最近のことだが、神経科学の発達によって、精神と肉体はまったく別物であるとするデカルト主義的な従来の考え方に異論が唱えられるになった・。身体的な健康や体調が精神的能力に直接的な影響を及ぼすことは確かであり、その逆もまた同じである。したがって、教育現場では、身体的能力や精神的能力に直接影響を与える環境要因に加えて、身体的能力と精神的能力の相互関係も考慮する必要がある(OECD教育研究革新センター「脳からみた学習」95頁)。

脳機能の改善につながる環境要因は、その多くが日常的な事柄である。つまり、社会的環境および社会的交流、栄養状態、身体運動、睡眠などの質の向上ということだが、これらはあまりに自明のことに思えて、教育への影響という点では非常に見過ごされやすいといえるだろう。OECD教育研究革新センター「脳からみた学習」114頁)

「精神と肉体はまったく別物である」という考えに異論が唱えられ、見過ごされていた「身体的な健康や体調が精神的能力に直接的な影響を及ぼすこと」が着目されはじめたのは、「比較的最近のこと」なのである。

身体を鍛えて精神を鍛える。
この考えは一般的に知られているが、例えば、この脳の知見からみた成功例と考えられる米国ネーパーヴィルの体育(第15回第15回 米国イリノイ州ネーパーヴィルの奇蹟 - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜参照。)を知れば、知ってるつもりだったにすぎなかったということを多くの人が感じるのではないだろうか。

例えば、日本を代表する経営者である稲盛和夫氏は、人生・仕事の結果は、考え方×熱意×能力であるという稲盛和夫 - Wikipedia。それでは、運動がこの「考え方」と「熱意」に影響を及ぼすことを知り、より豊かな人生、より大きい仕事の結果を求め、「考え方」と「熱意」を上げるために意識的に運動をしている社会人がどれほどいるだろうか。また、このような理解のもと体育を行っている学校がどのぐらいあるだろうか。

嘉納没後70年以上を経て、今ようやく、嘉納の方法が正しかったこと、さらには、その潜在力の大きさが分かってきたのである。

柔道

最後に柔道についてみていきたい。

世界の英知が結集し、これからの人類の教育のあり方を検討したDeSeCoは、嘉納と同じ方針を出した。もちろん、DeSeCoの大きな成果は、三つのキー・コンピテンシーを特定した点にあるが、その基底にある考えは「徳育」が必要不可欠であるという点にある。

また、最近の脳の知見は「徳育としての体育」という方法の有効性を実証しつつある(DeSeCoは教育の成果の定義を行うプロジェクトであって、定義した成果をどうしたら実現するかを検討したプロジェクではない)。

これは一体何を意味するだろうか。

嘉納の柔道が今世界から切実に求められているということだろう。

柔道は、そもそも万民の''reflectiveness''を開発するために創られた。つまり、「柔術のため身体の健康が増進するにつれて、精神状態も非常に落ちついてきて、自制的精神の力が著しく強くなって来たことを自覚するに至った。」などという嘉納が体験したreflectivenessの向上を、万人に提供するために作られたのである。

前ロシア大統領(現ロシア首相)のプーチン氏とその柔道仲間は、広く柔道を知ってもらおうと柔道の入門書を著した。そこで次のようにいう。

畳の上で自己の弱さを克服することを通じて、われわれは己を知り、成長します。そしてそれが周囲の人々の成長を促すことを信じます。
(「プーチンと柔道の心」47頁)

ここには、DeSeCoが求めた「人生の成功」と「正常に機能する社会」に至る道が確かにあるのではないだろうか。

第30回 これからの教育からみた柔道(2)

今回は、主にキー・コンピテンシーの中心にあるreflectivenessについてふれ、DeSeCoの基底にある大きな特長をみていきたい。

まず、キーコンピテンシーは次のようなものである。

「知育」から「徳育」へ

結論から先にいうと(かつ単純に表現すると)、DeSeCoは、現代の「知育」中心の教育から、「徳育」中心の教育に転換すべきであり、「徳育」中心の教育に転換しなければ「人生の成功」も「正常に機能する社会」もない、という結論を出した。

ここでは便宜的に、知識や認知スキル(情報処理能力など)などの「認知的要素」に関する教育を「知育」、態度、感情、価値観や倫理、モチベーションといった「非認知的要素」に関する教育を「徳育」と表記するが、

DeSeCoは、人と社会が豊かになるためには、「認知的要素」の向上も重要であるが、それ以上に「非認知的要素」の向上が必要であると判断したのである。以下詳細をみていきたい。

教えられた知識や技能を超えて

まず、DeSeCoは、報告書(要約版)において次のようにいう。

□教えられた知識や技能を超えて
ほとんどのOECD諸国において、柔軟性、企業家精神、個人的責任が重視されている。個人は、適応するだけではなく、革新的、創造的、自律的、自発的であることが求められているのである。

多くの学者や専門家が同意していることであるが、現代の問題に対処するためには、複雑な精神的課題に対応できるような個人の能力を適切に開発することが必要であり、これは溜めこまれた知識を単に思い出して使うことをはるかに超えたものである。キー・コンピテンシーには、認知的・実践的な能力、創造力、その他、態度、モチベーション、価値観のような心理社会的な資質を動員する必要がある。

コンピテンシーが単に教えられた知識以上のもので構成されているという事実にも関わらず、DeSeCoプロジェクトは、一つのコンピテンシーが、それ自体、望ましい学習環境の中で学ばれることを提案している。

キー・コンピテンシーにおける枠組みの中心にあるものは、道徳や知性の成熟さの現れとして、自らを省みることができ、自らの学習と行動に責任をもつことができる個人の能力である。
(key competencies 8頁[http://www.oecd.org/dataoecd/47/61/35070367.pdf:title=)

ポイントは、第一に、現代の課題に対応するためには、単に知識や情報をもっているだけでは足りず、「態度、モチベーション、価値観」のような非認知的要素が必要であるという点、第二に、キー・コンピテンシーの中心にreflectivenessがおかれたことであるが、以下敷衍してみていきたい。

直面する課題

DeSeCoによると、私たちは「変化」「複雑」「相互依存」という特徴をもつ社会におり、そのため次のような課題に直面しているという。

  • 技術は急速かつ継続的に変化している。したがって、技術を扱う学習には、一連の作業を一時的に身につけることだけではなく、適応しつづける能力が必要となる。
  • 社会はより多様化し細分化している。したがって、個人的な関係において、自分と異なる者と交流することがより必要となっている。
  • グローバリゼーションは新しい形の相互依存を作りだしている。したがって、活動は、地域や国のコミュニティを超えて大きく広がる影響(例えば経済競争)と結果(例えば公害)に左右される。

(key competencies 7頁[http://www.oecd.org/dataoecd/47/61/35070367.pdf:title])

そこで、敷衍すると、DeSeCoは、私たちがこの「変化」「複雑」「相互依存」がもたらす課題に対応するためには、以下に述べるように、「非認知的要素」の開発が必要であるという。

  • 変化が激しい社会では、学校で習った知識は陳腐化する。人は生涯にわたって学び続けなければ社会に適応していけない。そのためには、その時々の知識や認知スキルよりも、学ぶことに対する意欲や感情(情動)、社会に対する関心や姿勢、世界観といった「非認知的要素」が必要である。
  • 同様に、社会は複雑化し、人と人の絆が作りづらい社会になる。人の豊かな生活は、他人と豊かな人間関係を築けるか否かにかかっているといっても過言ではないが、このような豊かな人間関係は、この複雑な社会において、他者(社会)に対し、自ら意欲的に関わっていかなければ築くことができない。相手の立場に立って考えること、同じ目的を共有して協力すること、トラブルがあったときそれをうまく対処することなどが必要であるが、これらには、人に対する態度、倫理観、感情(情動)のコントロールといった「非認知的要素」の開発が必要不可欠となる。
  • 相互依存する社会とは、自分の行動が多くの他者に影響を及ぼし、また自分の行動は多くの他者の影響を受ける。このような世界でうまく暮らしていくためには、自分の行動がどのような影響を及ぼすか、を考えて行動することができると同時に、単に周りに追従するのではなく、自分が望むことを主張し、自己実現に向けて実際に活動できることが必要である。これらをできるようになるためには、社会にどのように関わるかという世界観や価値観、自己実現に対する意欲や感情といった「非認知的要素」の開発が必要不可欠である。

現代の教育

では、現代の教育では「非認知的要素」の開発が行われているのか。
DeSeCoは、現在の教育システムはこれを開発していない、むしろ、現代の教育システムは非認知的要素の開発をかえって阻害しているのではないか、と認識しているという。

□DeSeCo報告書
認知的技能と知識は、明らかに伝統的な学校プログラムを通じて達成される重要な学習成果であるが、コンピテンシーに関する考察はそうした認知的要素だけに限定することはできない。
労働市場での行動や知性と学習に関する最近の研究は、態度や動機づけ、価値といった非認知的要素の重要性を示している。これらの要素は、フォーマルな教育の領域では必ずしもあるいは全く獲得されず開発されていない(キーコンピテンシー27頁)。

□教育学者の福田誠治氏の指摘
ヨーロッパにおける大きな流れの中で、OECDの教育研究革新センターは1995年あたりになると、教育目標とは「明日の市民」を作ることだと解釈するようになった。
この立場から、伝統的カリキュラムにおける高得点は他の重要な側面、すなわち生徒の間における創造性、批判的思考、自己信頼(self-confidence)といったものを犠牲にして達成されているのではないかという批判が高まってきた。
そこで結局、CERIはTIMSSのような数学、理科、あるいは他によくある読解の達成といった指標、ましてや旧来の読・書・算という「基礎的学力」では、現代の学校教育の成果を把握するには不十分であると判断するに至った。(福田誠治「競争やめたら学力世界一」197頁)

キーコンピテンシーの構造

以上のような背景があって、DeSeCoは、「認知的要素」と「非認知的要素」の双方が開発されるような教育の成果の定義を行う必要があった。この結果、キー・コンピテンシーは、次のような構造をもつことになった。

  • キー・コンピテンシーの中心には、''reflectiveness''(思慮深さ、反省性)がおかれた。reflectivenessとは、先に引用した報告書でいうと、「道徳や知性の成熟さの現れとして、自らを省みることができ、自らの学習と行動に責任をもつことができる個人の能力」である(詳細は後にふれる)。
  • キー・コンピテンシーは、「認知的要素」と「非認知的要素」の双方を含むものとして構造化された。例えば、「協力する能力」については、協力に関係する知識や認知スキル、実際的スキルなどの認知的要素のほか、態度、感情、価値観や倫理、動機づけという非認知的要素を動員する必要があるとされている(キー・コンピテンシー67頁)。

reflectivenessとは?

それでは、キー・コンピテンシーの中心にある''reflectiveness''とは、具体的にはどのようなものだろうか。DeSeCoの報告書(要約版)は、次のようにいう。

□reflectiveness:キーコンピテンシーの核心

この枠組の基本的な部分は、思慮深い考えや行動である。

思慮深く考えることは、比較的複雑な精神的プロセスを必要とするものであり、思考する主体に対し、思考する自分そのものについて思考することを要求する。

例えば、ある特定の精神的な技術の習得にそのプロセスを当てはめた場合、個人は、この思慮深さによって、この技術について考え、これを取り入れ、この技術を彼らの経験の他の側面に関連付け、技術を変化させ又は適合させることができる。さらに、思慮深い個人は、そのようなプロセスを、実践し、行動しながら探求する。

したがって、思慮深さとは、メタ認知的スキル(考えることを考える)、創造力、批判的なスタンスをとること、を活用することを含むものであり、これは、個人がいかに考えるか、という点に関するだけではなく、より広く、思想、感情、社会的関係を含みながら、個人がいかに経験を作り上げるか、という点に関するものである。

思慮深さとは、社会的な圧力から距離をとり、異なる展望を持って、独立した判断を下し、自分の行いに責任を持つことを可能とするような、ある一定レベルの社会的な成熟さに達することを個人に求めているのである。
(key competencies 8頁http://www.oecd.org/dataoecd/47/61/35070367.pdf)

これがDeSeCoの報告書(要約版)に記載され内容であるが、これだけでは分かりにくいので、以下、報告書本文の記載をもとに3点ほど補足する。

reflectivenessが機能する場面

reflectivenessは、次のような場面に対応するために必要とされる精神的・道徳的な成熟さ・複雑さといった概念である(キーコンピテンシー98〜102頁)。

  • 「社会空間を乗り切ること」:人は、親子関係、文化、宗教、健康、消費、教育と訓練、仕事、メディアと情報、コミュニティなど様々な社会領域にかかわり、それぞれの領域で適当な役割を果たすことを求められている
  • 「差異や矛盾に対処すること」:多様な世界は「あれかこれか」という単純な解決ができない。平等と自由、自律と連帯、効率性と民主的プロセス、エコロジーと経済の論理、多様性と普遍性、イノベーションと継続性など相互に緊張関係、矛盾関係にあるものを取り扱うことが求められている。
  • 「責任をとること」:教えられたことや言われたことにただ従うのではなく、自ら考え、自らの行動指針を作り出すこと。社会からの様々な要求に対し、単に従うのではなく、問い直し、「良い人生とは何か、についての自分の考えからすると、この状況では何をすべきか。」「あのようにした自分は正しかったのか」などを検討し、現在の社会のルールや価値観、自分の現在のルールや価値観をともに省みて、自らが従うべきルールや価値観を新たに作り上げることが求められている。

reflectivenessとは、このような複雑な課題をうまく取り扱う「精神的な複雑さ」を意味する概念であり、根底には、もう一人の自分が、自分の思考や行動について客観的に考察できるような能力(メタ認知:考えている自分について考える)が想定されている。

・・「省察」とは、自分が「自身を客体とするような思考過程の主体」となること、つまり自分の思考や行動を(高いところから)観て考えているもう一人の自分がいるということである。
そのおかげで、自分の行動や思考を自分の行動計画や社会的な脈絡の中で意義づけ、評価し、調整して、さらに続行したり変更したりできるのである。
また、このような「省察」は、「思考について思考する」という「メタ認知技能」のはたらきと考えられ、「想像能力や批判的姿勢をとること」を意味する。PISAはとりわけ、この力こそ社会性を生み出すものとだと見ている。(福田誠治「競争やめたら学力世界一」218頁)

reflectivenessの発達プロセス

reflectivenessは、人が大人になるにつれて精神的に成長していくという発達プロセスに即したものであり、通常、大人にならないと獲得されない。また、このreflectivenessのレベルを上げるには、高度な教育というより、豊かな人生経験が必要となる。

先に述べたこの精神的複雑さの高次レベルは、高度な認知スキル、あるいは高度な教育を前提とするものではないが、「フォーマル、及びインフォーマルな知識や人生経験の総和に関係する、批判的思考や思慮深い実践の全体的発達を必要とする」・・。
したがって、このアプローチはまずもって認知的、あるいは知的な問題ではなく、認知的・知的な要素とともに、適切な動機、倫理、社会的・行動的な要素を含む複雑な行動システムに関係している。・・

研究によれば、このような精神的複雑さのレベルは成人になるまで通常獲得されない。個人が「社会化のプロセス」から距離をおき、自立した判断ができ自らの行動に責任をとれるようになるまで、十分に社会化される必要がある。
このような理解は、個人がより高次な精神的複雑さをその思考や行動に組み込む、人間の発達に関する進化論的モデルに基づいている・。(キーコンピテンシー102〜103頁)

reflectivenessと三つのキー・コンピテンシーとの関係

reflectivenessは、「道具を相互作用的に用いる」「異質な集団の中で交流する」「自律的に活動する」という三つのキーコンピテンシーの中心に位置する。

それが意味することは、reflectivenessのレベルが上がれば、三つのキー・コンピテンシーのレベルも上がるという関係であり、逆もまた同様に、例えば、「自律的に活動する」というキー・コンピテンシーが発達すれば、reflectivesssのレベルが上がり、その結果、他のコンピテンシー(道具を相互作用的に使用、異なる集団と交流)も発達するという関係である(おそらく)。

このようにreflectivenessを中心として三つのキー・コンピテンシーが連動している。

キー・コンピテンシーの三つのカテゴリー(またこれらのカテゴリーの内部で明らかにされたキー・コンピテンシーのそれぞれ)は、現代生活において有能な行動を取るための条件としての高次の精神的複雑さの発達を含意している。
自律的に活動するためには、社会領域を乗り切るために必要な精神的プロセスが必要であり、多様性に対処したり、責任をとったりすることが求められる。相互作用的に道具を使用したり、社会的に異質な集団で交流することにも、同じことが当てはまる。
理論に基づいた概念として、この三つのカテゴリーは、個人が関連するすべての社会領域において能動的で責任ある役割を果たせるようにエンパワーする能力を構築する基盤を提供する。(キー・コンピテンシー104〜105頁)

一応のまとめ

DeSeCoは、これからの教育には、非認知的要素の開発(徳育)が不可欠であると認識し、キー・コンピテンシーは認知的要素と非認知的要素の双方を含むものとして構造化し、キー・コンピテンシーの中心に、精神的な成熟性を意味するreflectivenessをおいた。

もちろんreflectivenessは、認知的要素、非認知的要素をいずれも含む概念であると思われるが、DeSeCoの重点が、現在の教育では開発されていない非認知的要素の向上にあることは明らかだろう。実際、reflectivenessの向上には、高度な専門教育等(認知的要素の向上)は必要ないとされている。

あえて単純にいうと、reflectivenessとは、「子ども」から「大人」になること、「立派な社会人」になることである。

  • 「大人」には、「うまくいかなかったけど、言われたとおりやったので責任は持ちません。」という言い訳は許されていない(責任をもつ)。
  • 同様に、「仕事が忙しいから子育てはしません。」、「関係ないので投票しません。」といったことも許されていない。それぞれの立場での役割を果たさなければならないのである(社会空間を乗り切る)。
  • また、仕事でもプライベートでも「あちら立てればこちらが立たぬ」というような厄介なことが生じる。このような厄介ごとは子どもであれば大人が代わって対処してくれたが、大人には代わってくる人はいない(差異や矛盾を扱う)。

このようにDeSeCoは、reflectivenessをキーコンピテンシーの中心におくことによって、あまねく人の教育目標とは、「頭のいい人(知識)」や「できる人(認知スキル)」を育てるのではなく、「子ども」を「大人」にすること、「立派な社会人」を育てることにあることを示し、現代の「知育」中心の教育から「徳育」中心の教育に転換することを提言した。

この点、シンクタンク・ソフィアバンク代表の田坂広志氏は、文芸評論家亀井勝一郎氏の「割り切りとは魂の弱さである。」であるという言葉を引用し、「器の大きい人物」について以下のように語るが、

この社会に存在する様々な「矛盾」を前に、この「矛盾」と正対し、それを心の中に深く把持し、「割り切る」ことなく、その矛盾の止揚の道を求めて、格闘し続けること。

それは、まさに、「魂の強さ」と呼ぶべき力量が求められる営みなのでしょう。しかし、そのことの大切さを理解するとき、我々は、古くから、優れた政治家や経営者などのリーダーに贈られるあの言葉の、本当に意味を知ります。

「器の大きい人物」

それは、心の中に、壮大な「矛盾」を把持し、その「矛盾」と対峙し、格闘し続けることができる人物。そうした人物に送られる言葉なのでしょう。(田坂広志「未来を予見する5つの法則」161頁)

この田坂氏の表現を借りるならば、DeSeCoは、万人を「器の大きい人物」にすることが人類の教育の目標であると提言したのである。

なお、念のため確認すると、「知育」中心から「徳育」中心の教育に転換すべきといっても、DeSeCoが知育を軽視したということではない。むしろ逆である。これからの社会は、知識基盤社会であり、知識や認知スキルがますます重要になるが、効果的な「知育」には「非認知的要素」の開発が必要不可欠である、と認識するに至ったのである。

柔道へ

それでは、現代の最も優れた研究であるDeSeCoが、キーコンピテンシーの中心にreflectivenessをおき、これからの教育は徳育中心でなければならないと提言したことは、これからの柔道を考えるにあたってどのような意味をもつだろうか。次回はその点をみていきたい。

第29回 これからの教育からみた柔道(1)

本稿が検討している仕組みは、次のような経験を多くの人々に、特に青少年に提供することである。

  • 異なる地にある道場(国外・国内問わず)にいって、その地の先生の指導を受け、その地の仲間たちとともに稽古をすること、
  • そして、可能であれば関係者宅にホームステイをさせていただき、稽古している期間、その地で生活すること、

「何故、この仕組みが必要か?」という点について、前回は「柔道」という視点からみたが、今回は「教育」という視点からみていきたい。

成果を定義すること

現在、日本の柔道人口は減少しているという。筆者は、日本をよく訪れる海外の指導者から「日本から柔道がなくなってしまうのではない。」という不安の声を聞いた。仮に柔道人口の減少が本当であれば、何故、人々は柔道から離れていっているのだろうか。

様々な原因が考えられるが、嘉納の著書を開くと、「柔道の修行が単に技術の末に流れて修養方面のことを閑却するに至れば、世人は柔道を重んじなくなってしまう」という嘉納の言葉が重く響いてくる。

柔道の修行が単に技術の末に流れて修養方面のことを閑却するに至れば、世人は柔道を重んじなくなってしまう。柔道の教員も技術ばかりを教えて人間を造ることに留意しなければ、生徒からも父兄からも軽んぜられるようになってもやむを得ない。(嘉納・著作集2巻277頁)

(参考):第25回 特殊の人の柔道から国民の柔道へ。 - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜

「ややもすると勝ち負けのみに拘泥しがちな昨今の柔道の在り方を憂慮し、'師範の理想とした人間教育'を目指して、合同プロジェクト「柔道ルネッサンス」を立ち上げます。」と宣言し、各地で柔道ルネッサンスを進めている柔道の先生は、おそらくこの嘉納の危機感を共有しているのだろう。

嘉納によれば、人間教育として柔道が十分に機能しなければ柔道が廃れていくのであり、逆にいえば、人間教育として柔道が十分に機能すれば盛んになっていくのである。

それでは、柔道が人間教育として十分な成果をあげるためには一体どうしたらいいのだろうか。

これが本稿の問いである。

本稿は、ドラッカーの指摘を参考に、十分な「成果」をあげるためには、まず「成果」を適切に定義しなければならない、という切り口から検討してきた。
(参考):第1回 柔道は「良い子」を育てるか。 - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜

当たり前のような話であるが、実は「成果」の定義は非常に難しい。なぜなら、教育の成果を定義すること、すなわち、「どのような人間を育成するか」を考えることは、

  • 「どのような人間になれば、いい人生を送ることができるのか?」
  • 「どのような人間であれば、いい社会を作ることができるか?」
  • 「いい人生とは?、人の成功や幸福とは一体何なのか?、いい社会とはどういう社会なのか。」

という問いと向かいあうことだからである。この問いに解を出さなければ、教育の成果を定義することができない。だからこそ、嘉納は、「精力善用・自他共栄」という解を出すまでに、40年以上の歳月を必要としたのである。
(参考):第4回 将来臍を噛んでも取返しのつかぬようなことに立至る。 - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜

話が少し脇にそれるが、一応確認しておくと、「精力善用・自他共栄」とは、「柔道教育」という限られた分野における成果の定義ではない。人と社会の普遍的な「原理」であり、万人に対する教育(普通教育)における成果の定義である。
(参考):第8回 おのれ自身の我儘を抑えて他のために尽くし得る力を養う。 - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜

また当然ながら、「精力善用・自他共栄」は、柔道に限らず、野球やサッカー、学問、ビジネスなど、ありとあらゆる方法から学ぶことができる。たまたま嘉納は、柔術の稽古を通じて体得し、柔術の稽古から学ぶという方法が有効であると実感したことから、万人が学びやすいように柔術の技術体系を再構築して柔道をつくったのである。

この「精力善用・自他共栄を体得した人を育てる」という長期的目標を見失い、例えば「試合で勝利する人を育てる」という短期的目標に囚われてしまったこと(=成果を適切に定義できなかったこと)が、柔道が人間教育として十分な効果を発揮しているのか?、という疑問が生じた大きな原因ではないだろうか。

実際、嘉納は「柔道を競技的に取り扱う・・ただそういうことをしただけで柔道本来の目的は達し得らるるものではない。」という。

さりながら競技運動の目的は単純で狭いが、柔道の目的は複雑で広い。いわば競技運動は柔道の目的とするところの一部を遂行せんとするに過ぎぬのである。柔道を競技的に取り扱うということはもちろん出来ることであり、また、してよいことであるが、ただそういうことをしただけで柔道本来の目的は達し得らるるものではない。(嘉納・著作集2巻376頁)

(参考):第20回 道に順って負ければ、道に背いて勝ったより価値がある。 - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜

とはいっても、成果を定義する、目標を定める、このことの重要性はある意味自明であり、目標の設定ミスが原因ではないか、という指摘に目新しい点はない。そもそも柔道ルネッサンスが、柔道教育における成果の定義を見直そうという動きである

それでも、ドラッカーが指摘するように、「何を成果として定義をするか?」という問いが重要であることを認識し、

ひとたび「精力善用・自他共栄を体得した人を育てる」というように成果を定義すれば、選手権大会という近代スポーツの仕組みは最も効果的な方法の一つであるが、それでも一つの方法にすぎない、別の方法も必要である、という結論に至るのではないだろうか。

さて話を戻して、

あらゆる教育機関がこの成果の定義を行っているが、近年、注目すべきプロジェクトが行われた。それが、経済開発協力機構(OECD)が1997年から6年間かけて行ったプロジェクト、通称DeSeCoである。
(参考):OECDのDeSeCoのHPhttp://http://www.oecd.org/document/17/0,3343,en_2649_39263238_2669073_1_1_1_1,00.html

正式名称「コンピテンシーの定義と選択:その理論的・概念的基礎(definition & Selection of Competencies; Theoretical & Conceptual Foundations)」というDeSeCoは、(1)教育の成果の定義に関する各国、各界の先行研究を分析、(2)様々な分野の専門家(哲学者、心理学者、社会学者、人類学者などから、政策担当者、政策分析家、経営者、労働組合代表者など)による共同研究、(3)OECD内の12カ国における検証(日本は参加していない)、という作業を経て行われた。

このことから、教育学者の福田誠治氏は、「「学力の標準」を作り上げるような流れを作り出しており、この流れはもはや逆戻りすることはないだろう。」と指摘している。

この計画の作業過程を見ていくと、関連分野の厚さと関連分野の広がりから、先進国の間にきわめて高い社会的合意を得て、否定しにくい教育論理を作り上げていったことが分かる。いわば「学力の標準」を作り上げるような流れを作り出しており、この流れはもはや逆戻りすることはないだろう。
福田誠治「競争やめたら学力世界一」202頁

さらに重要な点は、OECDは、このDeSeCoの定義した成果を図るため(測定できるものは一部であるが)国際的な学力調査(「OECD生徒の学習到達度調査」通称PISAOECD生徒の学習到達度調査 - Wikipedia)を行っている点である。

各国は、このPISAの調査結果を重要な資料として自国の教育制度の成果を図っており、各国の教育制度は、DeSeCoの定義する成果に誘導されているといっても過言ではない*1

したがって、DeSeCoは、これからの教育のあり方を検討し、教育の成果を定義した最も優れた、かつ影響力のある研究のひとつであるといえる。そこで、DeSeCoを手がかりにしながら、これからの柔道のあり方をみていきたい。

□ネット上の文献
DeSeCoの報告書の要約(英文)http://www.oecd.org/dataoecd/47/61/35070367.pdf(以下「key competencies」と略。適宜訳した。)
キー・コンピテンシーについてのノート
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/016/siryo/06092005/002/001.htm
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/016/siryo/06092005/002/001.htm
http://ejiten.javea.or.jp/content.php?c=TWpJd01qSXk%3D
□書籍
ドミニク・S・ライチェンほか『キー・コンピテンシー 国際標準の学力をめざして』(以下「キーコンピテンシー」と略)
福田誠治『競争やめたら学力世界一 フィンランド教育の成功』
福田誠治『フィンランドは教師の育て方がすごい』

DeSeCoの概要

まず、DeSeCoは、教育の目的は、万人の「人生の成功(successful life)」と「正常に機能する社会(well-functioned society)」を実現することにあるとする。

「人生の成功」とは、以下の要素から構成される。

  • 経済的地位と経済資源(有給雇用・収入と財産)、知的資源(学校教育への参加・学習基盤の利用可能性)、住居と社会基盤(良質の住居・居住環境の社会基盤)、健康状態と安全(自覚的・他覚的健康、安全性の確保)、社会的ネットワーク(家族と友人・親戚と知人)、余暇と文化活動(余暇活動への参加・文化活動への参加)、個人的満足感と価値志向(個人的満足感・価値志向における自律性)

また、「正常に機能する社会」とは、以下の要素から構成される。

  • 経済生産性、民主的プロセス、連帯と社会的結合、人権と平和、公正・平等・差別観のなさ、生態学的持続可能性

その上で、DeSeCoは、この「人生の成功」と「正常に機能する社会」を実現する成果の定義について、「固有の文脈に対して、その複雑な需要にうまく対応する能力」(キーコンピテンシー65頁)という、需要志向のアプローチで定義することにした。

つまり、嘉納は「あらゆる人に普遍的に妥当する原理とは何か?」というように「原理」から考えたのに対し、DeSeCoは「人が対応を求められる様々な需要・課題のうち、最も重要な需要は何か?」というように「需要」から考えたのである。

こうしたアプローチにより、教育の成果は、次の図のように定義された。

DeSeCoは、(1)道具を相互作用的に用いる力、(2)異なる集団の中で交流する力、(3)自律的に活動する力、という三つの力(コンピテンシー)を身につければ、「人生の成功」が実現し、「正常に機能する社会」を築くことができるとした。

したがって、このDeSeCoの枠組にそって考えると、もし柔道によって「道具を相互作用的に用いる力」「異なる集団で交流する力」「自律的に活動する力」を身につけることができるならば、柔道は優れた教育であるということになる。

したがって、「柔道が人間教育として十分な成果をあげるためには一体どうしたらいいのだろうか。」という問いへの切り口は、

柔道によって、

  • どうやったら「道具を相互作用的に用いる力」を身につけることができるか。
  • どうやったら「異なる集団の中で交流する力」を身につけることができるか。
  • どうやったら「自律的に活動する力」を身につけることができるか。

このような問いを検討することにある。

このようにDeSeCoは、これからの教育のあり方を示し、これからの柔道教育のあり方に示唆を与えるものであるが、次回以降、このキー・コンピテンシーの意義を詳しくみていきたい。

*1:なお、日本は、このPISAの順位が下がったことがきっかけになって「ゆとり教育」をやめたと言われているが、脱ゆとり教育という方向は、DeSeCoが示した方向とは異なると指摘されている。

第28回 柔道の理想と新しい仕組みの必要性

青少年が異なる地にいって稽古し、ホームステイをする機会が有益な機会であるとしても、わざわざ柔道でやらなくてもいいのではないか。サッカーでも野球などの他のスポーツ、また、学問や音楽や芸術などスポーツ以外の様々なものがある。何故柔道でなのか。

今回はこの点について、柔道の理想(長期的な目標)という見地からみていきたい。
結論を先にいうと、柔道の理想や長期的な目標を「リアルに」追求したならば、現状の仕組みだけでは足りず、新しい仕組みを創る必要があるのではないか、という点にある。

原点に立ち戻ることの意味:「本を読んでいるこの俺が狂ってるのか・・」

平成13年、講道館及び全日本柔道連盟は「柔道ルネッサンス」を立ち上げたが、ここから分かることは、日本各地の指導者の次のような認識である。

  • 勝ち負けのみに拘泥しがちな昨今の柔道では、教育として十分な効果を出すことはできない
  • 柔道が教育として成果を出すためには、嘉納という原点に立ち戻る必要がある

・・柔道がこのように普及してきた理由は、競技としての魅力だけでなく、創始者嘉納治五郎師範の位置づけられた柔道修行の究竟の目的である「己の完成」「世の補益」という教育面が、世界の人々に受け入れられたことに拠るものと思われます。師範は競技としての柔道を積極的に奨励する一方、人間の道としての理想を掲げ、修行を通してその理想の実現を図れ、と生涯を懸けて説かれました。
講道館全日本柔道連盟は、競技としての柔道の発展に努力を傾けることは勿論、ここに改めて師範の理想に思いを致し、ややもすると勝ち負けのみに拘泥しがちな昨今の柔道の在り方を憂慮し、'師範の理想とした人間教育'を目指して、合同プロジェクト「柔道ルネッサンス」を立ち上げます。・・
http://www.kodokan.org/j_renaissance/index.html

現状がうまくいかなくなったとき、原点にもどり、そこから再生するという営みはよく行われる。著名なものでは、ギリシア・ローマ文化という原点に立ち戻りヨーロッパを再生したルネッサンス、聖書という原点に戻ったヨーロッパの宗教改革、皇室という原点に立ち戻りそこから近代化をすすめた日本の明治維新などがあげられる。

本稿も柔道の原点である嘉納の考えや活動をみてきたが(第1回から第25回)、それでは「原点に立ち戻る」とは、「'師範の理想とした人間教育’を目指す」(柔道ルネッサンス)とは、そもそも一体どのような営みなのだろうか。

原点に回帰し再生を遂げた例として、先にヨーロッパにおけるマルティン・ルター宗教改革が挙げたが、「切りとれ、あの祈る手を」を著した思想家佐々木中氏は、「本を読む」ということの意義を語るなかで、原点である聖書を「読んでしまった」ルターについて次にように語る。

思い出しましょう。われわれは何を論じていたのでしたか。本を読むということはどういうことか、読み書き翻訳するということはどういうことか、ということについてでした。ルターは何をしたか。聖書を読んだ。彼の苦難はここにあります。ここにこそ。どういうことか。

彼は気づいてしまったのです。この世界には、この世界の秩序には何の根拠もない、ということに。聖書には教皇が偉いなんて書いていない。枢機卿を、大司教座を、司教座を設けろとも書いていない。皇帝が偉いとも書いていない教会法を守れとも書いていない。「十戒を守れ」と書いてあるだけです。修道院をつくれとも書いていない。公会議を開けともその決定に従えとも書いていない。聖職者は結婚してはいけないとも書いていない。贖宥状どころの話ではない。何度読んでも書いていない訳です。むしろ逆のことが書いてある。
(中略)
他の人は全員、この秩序に従っているのですよ。この世界はキリスト教の教えに従ったものであり、ゆえにこの世界の秩序は正しく、それには根拠があると思っている。みんな。ルター以外。教皇がいて皇帝がいて枢機卿がいて大司教がいて司教がいて修道院があって、みんな従わねばならない、と。でも何度読んでも聖書にそんなことは書いていない。

本を読んでいるこの俺が狂ってるのか、それともこの世界が狂っているのか。
佐々木中「切りとれ あの祈る手を」58〜59頁)

原点に回帰するとは、「本を読んでいるこの俺が狂っているのか、それともこの世界が狂っているのか」という問いが生じるぐらいの苦難なのだろう。この問いをキーワードにして以下みていきたい。

嘉納の理想

さて、嘉納は、精力善用・自他共栄という概念を創り、その普及活動のため講道館文化会を設立したが、そこには次のように記載されている。

□設立趣旨
輓近世界の大勢を察するに、国際関係は日に錯綜を加へ、国々互に融和提携しなければ独立を維持することが困難になって来た。従って、吾人は、今日の状態に満足せず進んで広く世界に友邦を得ることに努めなければ、国家の隆昌を期することが出来ぬ。

顧みて今日の国情はといへば、国民に遠大の理想なく、思想は混乱し、上下奢侈に流れ、遊惰に耽り、地主は小作人と反目し、資本主は労働者と衝突し、社会至る処に名利権力の争いを見るのではないか。一刻も速にこの境涯より我が国を救い、世界の大勢に順応することの必要なるのは識者の均しく感を同じうする所である。
この時に臨んで我が同志は、多年講道館柔道の研究によって体得した精力最善活用の原理を応用して世に貢献せんと決心し、新に講道館文化会を設くることにした。

大正11年 講道館文化会会長 嘉納治五郎

□宣言
本会は精力最善活用に依って人生各般の目的を達成せんことを主義とす
本会はこの主義に基づいて、

  1. 各個人に対しては身体を強健にし智徳を練磨し社会に於いて有力なる要素たらしめんことを期す
  2. 国家に就いては国体を尊び歴史を重んじその隆昌を図らんが為常に必要なる改善を怠らざらむことを期す
  3. 社会に在っては個人団体各互に相助け相譲り徹底せる融和を実現せしめんことを期す
  4. 世界全般に亙っては人種的偏見を去り文化の向上均霑に努め人類の共栄を図らんことを期す

□綱領

  1. 精力の最善活用は自己完成の要訣なり
  2. 自己完成は他の完成を助くることに依って成就す
  3. 自他完成は人類共栄の基なり

(参考)第4回第4回 将来臍を噛んでも取返しのつかぬようなことに立至る。 - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜

ここには、柔道が目指すべきものが書かれているが、これを「読むこと」ができるだろうか。
このような内容は嘉納の著作の至るところに書かれている。

まず労働争議や小作争議を見るがよい。争議の結果は何時でも双方失うところ多くして得るところは少ないのである。彼らが争わず、譲り合い助け合って、双方に比較的利益が多く、損失の少ない一致点を見出すことに努めたならば、当事者相互のためにも、国家のためにもこの上ない仕合せである。階級の争いも、政党の争いも同様であって、すべて自他共栄の原理により解決しなければならぬ。今日全国民が自他共栄の指導原理によって陶冶されていたならば、昨今各方面に見受ける紛擾も、争闘も見ないで済むことであろうと信じる。

一方、また精力善用が指導原理となって全国民に徹底していたならば、今日のように、多数懶惰に日を送るものもなく、奢侈贅沢な生活をするものもなく、無駄に金銭を遣い財物を費やすものもなかろう。さすればいわゆる貧者も他人の厄介にならず、いたずらに他人の成功を羨まず、愉快に自分の力でこの世に立って行くことも出来ようし、富をなしたものもそれを自己のために遣うばかりでなく、世のため、人のために使用して貧富の懸隔を少なくし、富者と貧者との間の反感を消滅せしむに力あることと思う。

また今後ますます複雑にならんとする国際関係もこれらの指導原理によって折衝協定すれば、融和協調が容易に望み得らるるだろう。そこでこの際私は大決心をするに至ったのである。私は、今年取って七十四歳になる。物心が出来てから約七十年の経験をつみ、講道館創設してからでも満五十年になる。そこで今日までの仕事をもって一段落として、今後新たなる活動を始めようと思う。

それは何かといえば、世界に柔道の技術を普及すると同時に、その根本原理である精力善用自他共栄の本義を宣明し、国際の関係を円満にし、人類の福祉を増進せんとする運動である。(嘉納・著作集2巻146〜145頁)

講道館文化会の宣言に「人類の共栄を図らんことを期す」と書いてあるとおり、嘉納は柔道をもって「人類の共栄」を実現しようとした。

それでは、現在の柔道は「人類の共栄」を実現しようとしているだろうか?
例えば、今日(2011年1月16日)の新聞を見ると、国際面では、チュニジアの大規模なデモ、中国軍の北朝鮮への進駐、国内面では、葬式代を支払うことが出来ず母の死体を2年間放置した子が逮捕というニュースが報道されている。これらの問題を柔道で解決することができるだろうか。

これらの問題を柔道で解決できるという話をあまり聞いたことがないし、大半の人々が柔道とは無縁のニュースと考えている。

しかし、嘉納の著作にはこれらの問題は柔道によってこそ解決できると書かれている。

そうであるとすると、現在、誰もが「柔道」だと思っているものは本当に「柔道」だろうかという疑問が生じてくる。

誰もが柔道と思っているものが実は柔道ではなかったら?

既に何度か引用したが、嘉納の柔道とは次のようなものである(中学生向けの教本)。

およそ人としてこの世に生れてきたからには、最も値打のある生活をしなければならぬ。値打のある生活とはどういうことかというに、個人としては、最も大いなる幸福を得ることであり、家庭または社会の人としては、家の内にいても、世間に出ても、両親はもとより、すべての人々に満足されることである。そうして国民としては、国家の元首たる天皇陛下を始め奉り、国民一般から、国のためになる人と認められ、広く世界の人々からも、人類の一員としてその本分を尽す人と思われるような行いをすることである。

浅はかな人は、自己の幸福を得ようと思えば、人のためや国のために尽くすことが出来ないように考え、自国にために尽くそうと思えば、他国の不利を図らなければならぬように考えるかもしれぬ。が、真に自己の幸福を得ようと思えば、人のためにも国のためにもなる仕方でなければならぬ。そうして遠い将来のことを考えるとき、本当に自国のためを図ろうと思えば、他国の人の幸福を妨げる仕方では、その目的は達せられぬのである。

そうしてみると、人間の本当の生活は、他人にも社会にも国家にも国外の人々にも、妨げをしないで自己の発達を図り、また自己の発達を図りながら、自分以外の人々に出来るだけ多くの利益を与えようとしなければならぬのである。それが人間の生活していくべき道である。そういうと人は、それならどうすれば、それらのことが衝突せず、どこから見ても都合のよい生活の仕方が出来るであろうかと問うであろう。私はそれは柔道という道を徹底的に修行すればよいと答える。

では、この現在の柔道を修行して、「人間の本当の生活」(他人にも社会にも国家にも国外の人々にも、妨げをしないで自己の発達を図り、また自己の発達を図りながら、自分以外の人々に出来るだけ多くの利益を与えようとする生活)ができるようになるのだろうか。

例えば、単純かつ一面的な視点ではあるが、現在の柔道は、国際柔道連盟を頂点として、選手権大会の運営を中心に組織化され、上から下まで、誰が一番かをみんなで競っている。この世界にあっては「勝負は勝たなければならない。勝利以外に価値はない。結果がすべてだ。」であるという言葉が横行し、また一部の学校では「柔道だけやってればいい。勉強しなくてもいい。」と言われるという。

もし現在の柔道を修行し「人間の本当の生活」を学ぶことが出来ないと考えるのであれば、現在の柔道と称されるものは柔道ではない。

嘉納のテキストを読んでしまったばっかり、周りの誰もが、柔道だというものが柔道とは思えない。

これが「本を読んでいるこの俺が狂ってるのか、それともこの世界が狂っているのか。」という状況であり、このような苦難が生じることが、おそらく、原点に立ち戻るということの本当の意味なのだろう。

佐々木中氏の次の表現を借りるならば、嘉納の本を読んで、嘉納の考えていることが「完全に「わかって」しまったら、われわれはおそらく正気ではいられない。」かもしれない。

うっかり理解したら大変です。グリューンヴェーデルが「わかった!」と絶叫した瞬間何が起こったか。カフカヘルダーリンアルトーの本を読んで、彼らの考えていることが完全に「わかって」しまったら、われわれはおそらく正気では居られない。書店や図書館という一見平穏な場が、まさに下手に読めてしまったら発狂してしまうようなものどもがみっしりと詰まった、殆ど火薬庫や弾薬庫のような恐ろしい場所だと感じるような、そうした感性を鍛えなくてはならない。佐々木中「切り取れ、あの祈る手を」30頁

精力善用・自他共栄

「精力善用・自他共栄」も同様である。現在、この言葉は、現在、ほとんど聞かれないが、これはある意味当然なのだろう。うっかり理解したら大変なことになる。

佐々木中氏は、哲学的概念の恐ろしさについて次のように語っている。

詩人ハインリヒ・ハイネは思想の力を侮るなかれと警告を発しています。大学教授の静かな書斎のなかではぐくまれた哲学的概念が一文明を破壊してしまうことがあるのだ、とね。ハイネ曰く、カントの『純粋理性批判』はヨーロッパの理神論の首を切りおとし、ルソーの本はロベスピエールを介してアンシャン・レジームを壊滅させた血まみれの武器であり、―そして彼は、フィヒテシェリングロマン主義的観点は、いつの日にか恐ろしい結果をもたらすだろうと予言しています。

政治学者アイザリア・バーリンは、この予言は必ずしもすべて外れたわけではなかったのだ、と言いつつ、こう述べている。「ところでもし、大学教授が真にこの運命を決定する力をふるいうるのであるならば、その力を奪い取ることができるのもまた他の大学教授のみである、ということになりはしまいか。」マルティン・ルター博士が大学教授であった、などと、今更指摘するまでもないでしょう。(佐々木中「切り取れ、あの祈る手を」78頁)。

嘉納は、東京高等師範学校の校長、今でいう筑波大学の学長である。大学教授である嘉納が40年以上かけて創りあげた哲学的概念、「精力善用・自他共栄」は、文明を破壊する力又は破壊する力を奪い取る力を秘めた可能性があり、そのうえおそろしいことに、この概念は、柔道という身体動作と結びつき血肉化する。
『代表的日本人』を著した斎藤孝氏は、これを「概念の技化」という。

嘉納治五郎が唱えた「精力善用」や、様々な理念・観念は、常に身体を動かすことと結びつけられているところがポイントです。普通、観念は、観念の世界、実地は実地の世界とまったく区別されていますが、治五郎の場合は、実施に即して観念を身につけていこうとしました。概念を技化していくという視点が重要です。 これが上達の普遍的原理となります。
ただ柔道が強くなればいい、というのではありません。めざしているのは精力の最善活用であり自他共栄なのであって、その概念を技をとして身につけるために柔道があるのである。そして、そこで身につけたものを、生活のすべてに広げなさい、と治五郎は説いたのでした。もちろん、身体を丈夫にしたり、闘う気構えを持つ教育は「武」の中にあるのですが、それが最終地点ではありません。柔道が強くなり、併せて人格形成ができるというだけではありません。概念を技として、普遍的に活用できるようになって始めて、治五郎のめざすところが実現するのです(斎藤孝『代表的日本人』92頁)。

もし「概念の技化」を本当に身につけたならば、「精力善用・自他共栄」を血肉化したならば、どうなるだろうか。
端的にいうと、嘉納のように生きなければならなくなる。

印象的なエピソードがある。
嘉納は、オリンピックを日本に誘致するための海外の会議に出席し、その帰路の船上で亡くなった。その出発のとき、嘉納は、駅のホームで多くの人から見送りを受けて列車に乗ったが、直後、人知れず自宅に戻ったという。教育事業に要した多額の借金の処理が終わっていなかったからである。

「精力善用自他共栄」を血肉化したら波乱万丈がまっているかもしれない。これを無意識的に拒絶するのはある意味当然なのだろう。拒絶すればスポーツ以外の場に関わらなくてもいい。

嘉納の理想を追求する方法

しかし、もし、嘉納のテキストを読もうとするならばどうしたらいいだろうか。例えば、次のような嘉納の憤りを読もうとするならば。

今日世界の実際を見るに、人々は如何に不必要な争闘をして互いに力の削り合いをしているのであるか。人を害し人に禍をなすことはあたかも天に向かって唾するようなもので、やがてその禍は己に戻って来るのである。人を助け人に福を与えてこそ己にもよいことが戻ってくるのである。
この簡単なる理屈が分からず、人は絶えず衝突し、争闘しているのである。精力善用・自他共栄の主張とて争うべきことを争い、論議すべきこを止めよというものではない。不必要であり有害なる争いを止めよというのである。
この道理を理解して事に臨むなら、今日の争いは十中の九まには平和的に解決すべきものと考えられる。世の人は何故にこの見易き原理に基づいて行動しないのであるか。
少なくともわが講道館員と文化会員は自らこの主義を実行することはもちろん各自の力の及ぶ限り世を指導をし、誘掖して貰いたいのである。(嘉納・著作集2巻118頁)

あまねく人々が、「人間の本当の生活」をできるようになるためにはどうしたらいいだろうか。柔道によって「人類の共栄を図らんことを期す」のであれば、どのような方法があるだろうか。

このように考えれば(本稿が「読んだ」とは到底いえないが、それでも)、自然と本稿で検討している仕組みが有益な選択肢の一つとして上がってくるだろうのではないだろうか。

異国の地にある道場で稽古すること、その機会を提供することは、既に多くの先人によって行われてきたことであり、目新しいものではない。必要なのはその機会を増やすこと、それだけなのである。

これまでの柔道の仕組み

以下簡単に既存の仕組みをみていきたい。主なものとして次の3つにふれる。

  1. 段級制度
  2. 学校体育への導入
  3. 選手権大会

1.段級制度

□経緯
講道館創立の翌年、嘉納が数え年24歳(明治16年、1883年)のとき、弟子である富田常次郎西郷四郎に初段を付与したのが始まりという。従来の柔術は、目録、免許、皆伝など3、4段階であったのに対し、嘉納は、モチベーションの維持のため、囲碁や将棋において普及していた段級制度を導入した。
□効果
この段級制度は、第一に、本人のレベルと学びの道筋を明らかにして学習意欲を高める機能、第二に、講道館柔道を学んでいる者であることと学びの程度を外部に認証する機能(これはいわゆる「ブランド」を支える根本機能である)、第三に、構成員に序列をつけることによる組織の安定化機能などがある。
□財源
昇段の際に本人が費用を負担することにより、仕組みとしての永続性が確保されている。但し、本人負担のため、資力がある者が優遇されやすい。
□問題点
段を上げるための努力をしていけば、精力善用自他共栄を体得できるのであろうか?この点、本稿では検証できない。

2.学校体育への導入

□経緯
義務教育という制度が嘉納が13歳(明治5年1872年)のときに誕生。嘉納25歳(明治17年)のとき、学校体育のコンテンツを検討していた体操伝習所が剣術や柔術は学校体育の正課として不適当であると判断。中学校の正課(選択性)になったのは嘉納が52歳(明治44年)のとき。なお、嘉納は、勤務先(学習院高等師範学校など)で課外授業として教えており、師範学校で学校の先生の卵に教えることにより、各地の学校に普及していた。
□効果
学校教育に取り入れられることにより、国民に広く柔道が普及。
□財源
義務教育の一環として財源は税になり、国民全般が負担。生徒は無償で柔道を学び、柔道指導者は体育教師として公務員になる。
□問題点

  • 国の政策に左右される(戦中は白兵戦の稽古になったという)。
  • 特定の年齢の者だけが対象となるため同質的な集団が形成される。多様性ある集団が形成されない。
  • 体育では、学校にいるときだけではなく、生涯にわたって運動をして心身の健康を管理するという力をつける必要がある。学校卒業後に柔道を続ける人があまりいないのであれば、体育としての効果は乏しいことに。

3.選手権大会

□経緯
国内では、嘉納が71歳(昭和5年、1930年)のときの第1回全日本選士権大会、世界では、嘉納没後18年後(1956年)に開催された第1回世界選手権大会が主な始まりである。
□効果

  • 試合の場があることにより、日々の稽古が充実したものに。
  • メディアを通じて大衆に柔道を見せることができ、大きく普及。オリンピックの柔道に参加した国は、1964年(東京オリンピック)は27ヵ国、その40年後の2004年(アテネオリンピック)は94カ国と3倍増。国を越えた普及に大きい効果があった。
  • オリンピックなどの選手権大会の運営ため、柔道関係者が組織化される。

□財源
柔道はメディアにドラマを提供し、メディアからその対価として放映料などを得て、メディアは大衆にドラマを提供し、その対価として広告主から広告収入を得、広告主は大衆が見るドラマの合間にCMを入れることで、その対価として、大衆による製品やサービスの購入を促す。つまり「プラットフォーム」ビジネス(第27回参照)の仕組みである。昭和5年の第1回全日本選士権大会は朝日新聞の後援を得て開催された。
□問題点
a)長期的目標より短期的目標が優先
柔道側は、このプラットフォームの中で、「勝つか負けるか」というドラマを提供して対価を得ているため、この仕組みの中では「道の体得」よりも「勝ち負け」や「ドラマ」が優先される。長期的目標が損なわれても短期的目標を追求するというインセンティブが働く。
例えば、この仕組みの中でも以下のような変更が。

  • 無差別級と重量級が実質的に変わらないということで(?)、国際オリンピック委員会は、1988年、オリンピックからの無差別級を廃止、
  • 勝ち負けを容易に決めるため、1974年 「有効」「効果」が採用
  • 観客が見やすいように、1997年、ブルー柔道着が採用。
  • ドラマ性に欠けるため(?)、1997年 押さえ込みの時間が30秒一本から25秒一本に。
  • 勝ち負けを決めるため、2003年、延長戦「ゴールデンスコアー」が導入

(参考)「現代武道の諸問題-武道の国際化に伴う諸問題-」http://www.budo-u.ac.jp/laboratory/pdf/material/budomk-13_1-a-2.pdf

b)武術性が低下
柔道は、本来、パンチキック、ナイフなどあらゆる攻撃に対応する「武術」であったが、内部で競う必要からルールを設定したところ、ルール外からの攻撃を想定しないスポーツになった。

最後に

以上ざっと柔道の主な三つの仕組みをみた。最近だと、第2の学校体育については、国内で平成24年から武道が必修になり、第3の選手権大会では、ランキング制度ランキング制 (柔道) - Wikipediaが導入されるなど、それぞれの仕組みのなかで改革が行われている。

しかし、改善するとはいえ、今後、この仕組みを続けていくだけで「人類の共栄を図らんことを期す」(講道館文化会)という柔道の理想が達成できるだろうか。

本稿は、新しい仕組みが必要である、という考えである。以上、今回は柔道の理想という視点から新しい仕組みの必要性にふれたが、次回は、教育の目標という視点からみていきたい。

第27回 新しい仕組み内容と可能性

今回は、本稿が提案する仕組みの内容についてみていく。

本稿が検討する仕組みは、

  • 異なる地にある道場(国外・国内問わず)にいって、その地の先生の指導を受け、その地の仲間たちとともに稽古をすること、
  • そして、可能であれば道場の関係者宅にホームステイをさせていただき、一定期間その地で生活すること、

である。

柔道ソリダリティの取り組み

つい先日(平成22年12月17日から29日)、柔道家山下泰裕氏が理事長を務める柔道ソリダリティーが、イスラエルパレスチナの中学生14名を日本に招聘した。日本にきた彼ら彼女らは、講道館での稽古や、広島の原爆ドームの見学、福岡のサニックス国際柔道大会へ出場したという。

柔道というものが、民族や宗教などの違いに起因する対立を超えて絆をつくることができることを象徴する企画であり、この企画を通じて、日本という世界に誇る豊かな文化を有する「異国」を旅した子どもたちは、困難を通じて人と、さらに新しい自分に出会い、一回り大きくなって帰国したのだろう。

本稿は、このように、異なる地で柔道をすることを通じて大きく成長する機会を、あらゆる人に、特に子どもたちに、あまねく提供できる仕組みを検討するものである。

まずはその特長を3点ほど見ていく。

特長(1)「他人の飯を食う」「同じ釜の飯を食べる」

まず、特に子ども(青少年)が異なる地の道場にいって稽古をさせてもらったとき、道場の関係者のお宅にホームステイをさせていただくことである(可能であればだが)。

親元から離れ他人の世話になって「他人の飯を食う」経験をすること、そして、異なる背景を持った人々と共同生活をして「同じ釜の飯を食う」経験をすること、これらが人を大きく成長させるきっかけとなることはおそらく異論ないだろう。

実際、英国のパブリックスクールや米国のボーディングスクールのように、子どもに「いい教育」を提供したいと考える親は、寄宿学校を選ぶケースが多いという。

日本の場合、今最もタイムリーなものは、今年、軽井沢に設立予定の、日本と世界各国の高校生が共同生活をする高校、軽井沢インターナショナルスクールhttp://isak.jp/isak/top/である。

この「他人の飯を食う」「同じ釜の飯を食べる」という経験の関して、改めて詳細にふれるが、2点ほど簡単にふれておきたい。

DeSeCo

1点目は、経済協力開発機構のプロジェクト''DeSeCo''に関してである。

2003年、経済協力開発機構OECD)は、「どのような人間であれば個人として物質的にも精神的にも豊かになるか。」そして「どのような人間であれば社会は正常に機能するか。」という問いに解を出した。そのプロジェクトが通称''DeSeCo''DeSeCo - Wikipediaである。

その解とは、思慮深さ(反省性)を核として、(1)相互作用的に道具(言葉、数字、科学技術、情報など)を用いる力、(2)異質な集団で交流する力、(3)自律的に活動する力、という三つの力をすべて備えた人間というものである。

純化すれば、例えば「異質な集団で交流する力」が育成されなければ、いい仕事にありつけず、収入は低く、人間関係にも恵まれず、物質的にも精神的にも豊かになれないというものであるが、「学力」中心の、同質的な集団で行われる現在の学校教育において、このような力を伸ばすための有効なプログラムがそもそも存在するだろうか。

DeCeCoは、学校教育の大部分を占めるいわゆる「学力」((1)の「相互作用的に道具を用いる力」と類似)は、人が社会で幸福になるための力のうち、わずか30%強でしかすぎないことを明らかにし(ある意味当然ではあるが)、学校教育の大幅な改善を求めているのである。

(その「学力」についても記憶をしたものを吐き出すのではなく、実社会で活用・応用できるものであるを求めている。)

この''DeSeCo''は、欧州連合(EU)を創るというヨーロッパ諸国のニーズが強く反映されているのではとも指摘されているが、いずれにしても、これからの国の教育政策に大きな影響を及ぼすものであり、何より、一人一人がどのような人間になれば幸福になることができるのかについて指針を得ることができる点でも参考になる。

従来、ともすれば、「他人の飯を食う」「同じ釜の飯を食う」経験は、「学力」の勉強より低価値と考えられる傾向があったと思われるが、「異質な集団で交流する力」や「自律的に活動する力」を育成するプログラムとして、国語や数学の勉強と同程度に重要なものだったのである。


実際、山形県戸沢村や長野県青木村http://www.vill.aoki.nagano.jp/education/index.htmでは、子どもの社会力を育てるため、地域の大人と子どもが一緒に数日間の合宿をする取り組みが行われている(門脇厚司「社会力を育てる」(岩波新書))。

コミュニティを創る

2点目は、「コミュニティ」に関してである。

純化した話を続けると、仮に「学校教育では、「異質な集団で交流する力」や「自律的に活動する力」は育成できない、それは家庭でお願いします。」となった場合、どうなるだろうか。

どうしても、裕福な家庭の子どもはこれらの力を身につけるが、そうではない家庭の子どもは身につけられない、という社会の二極分化の傾向が生じることになる。

この場合、DeCeCoの枠組によると、三つの力は、本来全ての人が身につけてこそ社会は正常に機能することから、一部の者だけが身につけるいうことになったら、社会が正常に機能しなくなり、全ての人が被害を蒙ることになる。

そこで、「学校」では足りず、「家庭」に全てを委ねるのもダメならば、地域、「コミュニティ」ということになる。つまり、学校の先生だけでは教育できず、親に全て任せてもうまくいかないから、より多くの大人が協力して、他人の子どもに関わる必要がある。

それでは、一体、誰が、大人が子どもの教育に関わるためのコミュニティを作り上げるのだろうか。

この点、様々な団体が様々な取り組みを行っており、政府も例えば次の支援を行っているが、

本稿の解は、柔道家が、柔道関係者が、である。

実際、地域にある道場は、コミュニティを形成し、子どもの教育を担ってきたが、ここでのポイントは、本稿で検討している仕組みを取り入れると、柔道コミュニティは、より豊かで、より教育効果の高いコミュニティになるのではないか、という点にある。

現在の柔道のコミュニティの特長をざっくりと表現すると、特定の年齢(学校柔道部など)、特定の団体(企業や警察など)、特性の性別(男子だけ・地域の道場など)、つまりは同質的な集団だと推測されるが、これからの教育の課題を考えると、老若男女が集うような多様性のあるコミュニティが必要となる。

年配者と子供、選手、一般愛好家がともに汗を流せる空間を共有することで初めて、子供にも社会教育を施せることになるのではないか。(松原隆一郎「武道を生きる」62頁)

この点、ホームステイを受け入れたり、ご飯を用意したりといった、柔道の稽古以外の作業は、指導者以外の大人の協力が必要不可欠となる。したがって、長期的には、柔道指導者以外の大人が参加する、老若男女が集うコミュニティをつくることができるのではないだろうか。

そして、地域の道場が、大人が協力して子どもを育てる多様性のあるコミュニティとなり、物質的にも精神的にも豊かな人間を育てる空間であると認知されれば、より多くの人が柔道を学ぶことになるだろう。

特長(2)「かわいい子には旅をさせよ。」

次の特長は、国内外を問わず、異なる地にある道場に旅立つことである。旅が人を大きく成長させることがあることは周知の事実だろう。

この点、同種の取り組みとして参考になる事例は、年間1000人以上の中学生に1ヶ月間の海外でのホームステイの機会などを提供している財団法人ラボ国際交流センターの取り組みであるトップページ|(公財)ラボ国際交流センター(門脇厚司「社会力を育てる」193頁)。

HPに掲載されたこのラボ国際交流センターの目的は素晴らしく、本稿で検討する仕組みが目指すものでもあるので、以下引用する。傍線は筆者である。

■ラボ国際交流の精神

この計画は単なる観光旅行や通りいっぺんの修学旅行ではありません。こどもたち自身が何年もかけてこころの準備をし、激動の青春期に入ってゆくまえのもっとも大切な瞬間である10代のなかばに未知の生活を体験し、そのみずみずしい回想をその後の成長の核にしていこうとするものです。

この計画が目指しているものは、第一にこどもたちに、深く、温かい人間関係を網の目をとおして、世界を知ってもらうということです。そのためには、こども自身が外国の友だちを作り、友情を育てることです。地球儀と本だけで世界を知ろうとするのではなく、ひとびとのこころとのふれあいをとおして知っていくことを目指しています。

つぎにこの計画がめざしているのは、こどもたちのすこやかな巣立ちを用意してやることです。「これからおとなの世界へはいっていくのだ」という決意を、青少年のある日にしなければならないは、昔も現代も変わりありません。その意味で外国でひと夏をすごすことは、ともすればおちいりがちな今日の過保護状態を、このような姿で断ち切りたいものです。

ある目標にむかって長い間歩きつづけることのできるこどもたちを育てることです。おさない日にたてた計画を、5年、10年かかって実現する---そのとき、こどもたちは、すでに何ものかをつかんでいるはずです。この、ラボ国際交流という種子に、朝夕かかさず、よろこんで水をやる習慣がつくように、わたしたちおとなの側から見まもってやりたいと考えます。

■ラボ国際交流の目的
□ひとりだちへの旅
異なった国で他人の家族でホームステイするということは、楽しいことや嬉しいことだけでなく、つらいことや嫌なことも出てくるかもしれません。日本にいると両親がいつも面倒を見てくれているのではあまり大きな問題はないでしょう。しかし、他人の家庭でホームステイするということはすべて自分の判断や自分の力で解決しなければなりません。このような体験は自己の成長や自信に大きく貢献するでしょう。

□体験をとおして学ぶ
地図や本の上で知っている外国ではなく、もう一つの外国の家族とともに生活しながら、直接肌で触れたり、見たり、聞いたりして、外国住む人たちのことを学ぶことはとても大切なことです。今まで育った環境とはまったく異なる土地で外国の人たちと接することによって、文化や習慣、考え方の違いだけでなくいろいろなことを発見するでしょう。

□異文化を理解しよう
「郷に入れば郷に従え」ということわざがありますが、外国での生活もこのことばはあてはまります。日本と違う文化や習慣を素直に受け止め、現地の人たちとの生活方法を理解し、素直に認めるという柔軟な心があれば、相互理解が深まります。異文化を理解することによって、あらためて自分自身や日本のことがわかるでしょう。

(出典)http://www.labo-intlexchange.or.jp/about.html

さて、もし世界各地の道場が世界各地から青少年を毎年定期的に受け入れたら、どうなるだろうか。

単純に計算をして世界200カ国、一つの国で500の道場(一都道府県あたり10強の道場)が年2回それぞれ10人受け入れたら、毎年200万人の子どもが冒険に旅立つのである。

ここでのポイントは、この冒険の旅は、特定の地域・集団だけが共有するものではなく、世界の人々が共有する、地球規模の「子ども」が「大人」になるための「通過儀礼」となる可能性があるということである。

この「通過儀礼」とそれを支える「神話」については改めてふれるが、「地球規模の通過儀礼」というものが意味するところは、地球上の全ての子供たちが自分たちの子供たちと考えられ、地球上の全ての大人が協力して彼ら彼女らを共に育てる、という夢のような世界である。

古来より、保護されて育ち、社会に依存する「子ども」を、社会を支える一員としての自覚と責任のある「大人」に変身させることは、社会において最も重要なことの一つであった。その変身をもたらす仕組みが、「子ども」が「大人」になることをモチーフにした神話であり、その神話を再現する通過儀礼である。

もっとも、近代以降の人々は、その神話を不合理な物語として扱い、また、伝統的な共同体が崩壊したことにより、「通過儀礼」が失われ、子供を大人に変身させる力が弱体化、その結果、あらゆる社会問題が生じている。

そこで、改めて神話に目を向けたとしても、特定の集団、特定の地域だけで通用した神話は機能不全を起こしている(宗教の違いによる対立など)。この原因は、グローバル化した現在、神話を必要とする「社会」とは、特定の集団、特定の地域ではなく、「地球」だからである。したがって、地球の生きとし生けるものすべてが共有する神話が必要なのであるが、現在、そのような神話はないという(ジョーゼフ・キャンベル「神話の力」参照)。

(ちなみに映画監督ジョージ・ルーカス氏は、この神話なき世界に神話を作ろうとし「スターウオーズ」を作ったという。)

しかし、実は、部分的であるとしても、世界200カ国以上に普及した嘉納の物語は、特定の集団・地域を越えた、地球規模の神話である。しかも宗教上の排他性を有しない。この嘉納の物語に含まれた冒険の旅(前回参照)を世界各国の人々が共に再現すれば、それは(部分的であっても)人類が共有する(初めての?)普遍的な通過儀礼ではないだろうか。

特長(3)柔道を中心としたプログラム

第三の特長は、当然ながら、柔道を中心としたプログラムであることである。必ずしも選手権大会などの試合に参加する必要はないが、とにかく柔道をすることである。それ以外はそれぞれのニーズに合わせて作り上げられる。

体育の有効性や可能性については、主に第13回から第15回でふれたが、徳育を行うには体育が最も効果的であり、だからこそ嘉納は柔道を作り普及させたのである。

ここで改めてふれておきたいのは、体育の成功例としてあげた米国イリノイ州ネーパーヴィルの体育教師ジェンタルスキ氏の次の問いかけである(第15回第15回 米国イリノイ州ネーパーヴィルの奇蹟 - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜)。

「高校を卒業するまでに子どもたちにできるようになっていてほしいことはなんでしょうか。多くの人はこう答えるはずです。コミュニケーションがうまくとれるようになっていてほしい。何人かと協力しながら仕事ができるようになってほしい。問題を解決できるようになってほしい。リスクを恐れない人になってほしい。それを学ぶことができるのは、どこでしょうか。」

ジェンタルスキは客人たちを見わたした。

「理科の授業でしょうか?わたしは、そうは思いません。」

ジェンタルスキ氏は、例えば、体育にスクエアダンスを取り入れ、パートナーと会話をして踊る経験を生徒に提供し、人と関わる方法を教えている。

この点、柔道は、たとえ、言葉が通じなくても、また言葉が通じるとしても言葉だけでは必ずしもいい人間関係を築くことができない場合であっても、二人の人が向かい合い、肌と肌、肉と肉、骨と骨を重ねながら、言語を介さないコミュニケーションをし、つながりを、絆を作ることができる、一種のコミュニケーションツールである。

もし、あまねく子供たちが、世界を旅し、異なる背景、異なる文化をもった人々と一緒に柔道をして、同じ釜の飯を食い、絆をつくったならば、その経験は、その後の彼ら彼女らの成長、人生観、世界観にどれほどの影響を及ぼすだろうか。

想像するだけでワクワクするようなことであるが、そのような仕組みを大人が協力して作り運営することは、大人の最高の遊びだろう。

ちなみに、この教育を受ける側と提供する側のwin-winの関係こそ、嘉納が教育に携わる者に伝えたかったことである。

次に、教育というものは、大いに楽しき事業であるということを知らねばならぬ。人間のする仕事はいろいろと多いが、往々にして自己の成功が他の成功と両立せず、他より妨害を受け圧迫せられたりすることが起こってくる。しかるに教育の仕事たるや自分の力を尽くしたことによりて、教育を受けた者に満足を与え、また彼らの父母・兄弟らからも喜ばれる。すなわち自分の成功は同時に、他人の成功をも助けてその満足を得るのである。それが教育の楽しいことの一つである。(嘉納・著作集・第3巻238頁)

対象者

世界中、誰であってもどこに行こうとも柔道を楽しめる。これが理想であるが、仕組みとして優先順位が高いターゲットは、嘉納が対象とした、道徳教育が最も高い効果を発揮する、世界各地の青少年であり、(その時点の技術や体力的な強さより)、己を完成させ世を補益したい、そのための機会がほしいという志を持っている者である。

また、嘉納は、「講道館は教えるということについては、道は金と交換にこれを授くべきものではなく、志あるもののみこれを教授するのである」(嘉納・著作集3巻94頁)として、道場の維持費などの実費負担はやむなく求めたが、授業料は求めなかった。したがって、家庭や国に財産がないという理由でこの機会が与えられないということがないよう何らかの仕組みが必要だろう。例えば、世界中の人々がネットを介して発展途上国の起業家に融資をするKivaネイティブキャンプ 評判と現実【その速さ通常の4倍】カランメソッドの実力を検証は示唆に富む事例だろう。*1

実施場所

異なる地にいる志ある青少年に、自分たちの道場で稽古をし、ホームステイをさせようという意思のある柔道家のコミュニティがあれば、世界の何処ででも実施できる。

実現には何が必要か。(1)認識の転換

それでは、このような仕組みを作ることは現実的に可能なのだろうか。

もしこの仕組みの構築を妨げるものがあるとすれば、その一つは「柔道はスポーツである」という認識にあるのではないだろうか。

柔道は、選手権大会という近代スポーツの仕組みを取り入れ、1964年に東京オリンピックから正式な競技種目になったことなどから、戦後「スポーツ」の一種として広く認識されるようになった。

しかし、改めて柔道を捉えなおすと、次のような強みをもっている。

  • 世界200カ国以上に及ぶ世界最大規模のネットワークを有すること
  • 嘉納治五郎という非常に高い基本理念を共有していること
  • 武を軸とした徳育としての体育という手法を有していること

この柔道の強みを考慮し、嘉納の視点から捉えなおせば、現在の柔道とは、「体育に強みがある世界最大の普通教育機関」と認識したほうが適当である。

本稿は、柔道を「スポーツ」として捉える見方は、柔道の短期的な目標に焦点をあわせた見方であると考えている。

「スポーツ」ではなく「普通教育」として柔道を認識できるのであれば、教育のために、その世界最大のネットワークをシンプルに活用して、異なる地にある道場で稽古する機会を作ることはきわめて自然なことだろう。

既に「IT革命」といわれる技術の進歩により、ネットにさえつながっていえれば、世界の何処にいる人とでもコミュニケーションがとれるのである。

したがって、柔道というものについて、「スポーツ」からスポーツを包摂する「教育」へとより広いものと認識し、このような仕組みが必要であると考える人が増え、そして集えば、実現可能ではないだろうか。

なお、再度確認するが、この仕組みは、柔道の長期的な目標を実現するための仕組みであり、オリンピック金メダリストを育成するという、短期的目標に焦点を合わせた仕組みではない。

世界中のあらゆる分野・領域が、精力善用・自他共栄という「道」を体得した人材を必要としているのであり、柔道競技という重要ではあるが柔道の一領域にしかすぎない分野に特化するわけにはいかないのである(既に既存の仕組みで、強化選手等が海外で修行する機会はつくられている)。

実現には何が必要か。(2)「プラットフォーム」

本稿で検討している仕組みとは、「場」(プラットフォーム)を創り、ある道場で稽古をする青少年と、異なる地にある道場を結びつけ、単独では出せない価値を生み出すというものであり、百貨店という「プラットフォーム」を作り店舗と顧客を結びつける、ヤフーオークションという「プラットフォーム」を作り、売主と買主を結びつけるという取り組みと同種のものである。

この仕組みを機能させるための戦略については、2001年に大前研一氏が作った「プラットフォーム」という概念に基づき既に立案されている。

そこで、最近出版された平野敦士カール氏及びアンドレイ・ハギウ氏の書著『プラットフォーム戦略』(東洋経済新報社)を参考に、以下、「プラットフォーム」が有効に機能するための必要事項をあげておく。

  • 成長したいと願う青少年とこれを受け入れる道場が出会う「場」(プラットフォーム)を作り、マッチングさせること。
  • さらに、青少年や道場と、これらの者を支援する者が出会う「場」を作り、マッチングさせること(例えば、旅に出る青少年が旅行会社のサービスを受けてチケットを取得するなど。)
  • 各グループが個別に対応していてはコストがかかることをサポートすること(関係者への連絡、スケジュール調整、決済、集客、トラブル対応など)
  • 参加する青少年や道場が信用できる存在であることを認証すること
  • より多くの人がこの「場」に参加したいと思われるように、「場」内の交流を盛んにすること

組織やサービスのあり方

プラットフォーム運営組織のあり方や資金獲得方法、サービスのあり方として重要なことは、「道は金と交換にこれを授くべきものではない」という嘉納の教えである。これに適合する組織やサービスのあり方を考えなければならない。

様々な方法があるが、何が適当かは試行錯誤から見出す必要があるのだろう。参考になると思われるのは、2006年にノーベル平和賞を受賞したグラミン銀行総裁のムハンマド・ユヌス氏が提唱する以下のような「ソーシャル・ビジネス」という形態である(ムハンマド・ユヌス「貧困のない世界を創る」「ソーシャルビジネス革命」参照)。

  • 政府にやってもらおうと思わず、自分たちで組織を作り、活動をすること。政府にお願いしてもやってもらえるか不明であるうえ、大抵は非効率である。
  • 組織の目的は、社会問題の解決であり、利益の最大化ではない。
  • サービスを提供し、そのサービスの対価を得て、活動資金とすること(ビジネスの手法を用いること)。寄付や助成金に依存すると事業が持続できなくなってしまうおそれがある。
  • 投資家に利益を配当しないこと(元本のみ返還)。投資家に利益に配当する目的とその圧力の下で活動をすると、活動領域が狭くなり、実現しようとした社会的目標が実現できなくなるうえ、結局、豊かではない人からお金を巻き上げることになってしまう。
  • 投資した人が組織を所有し、事業運営に参加できるようにすること。組織を所有し事業運営に参加することこそ投資した人の誇りであり、投資に対するインセンティブが働く。NPO法人や財団法人の場合、寄付をしても組織を所有することができず、運営に参加するためには理事や従業員になる道しかないが、このような仕組みだと組織に投資するインセンティブが働かない。
  • 従業員には一般企業と同じ水準の給与を支払うこと。事業は人である。人は引き付けるためには一般企業と同じ水準の待遇を用意しなければならない。
  • これらを完全に満たす制度はないが、現在の制度の中では、株主に配当しない株式会社となる。

次回

以上が仕組みの概要とその可能性である。

次回以降、以下の4つの視点から、改めて、何故この仕組みが必要なのかをみて、本稿の第二部を終わりとしたい。

  • 柔道の長期的な目標
  • 教育の目標
  • 日本の国家戦略
  • 新しい神話・通過儀礼・コミュニティ

*1:貧困にしても、環境破壊にしても、あらゆる問題の根本は、人間の精神、意識、心にある。この人間の精神、意識、心に活力が燈れば全てが大きく改善されるが、その活力を人間に与えるものとは何だろうか。嘉納は体育であると考え、国民の体育の振興を図った。最近の脳科学の研究結果はこれを実証している。

第26回 「かわいい子には旅をさせよ。」と「他人の飯を食う。」

1回から25回までは、柔道は何処に行こうとしていたのか、という点をみてきた。今回からは、新しい仕組みを提案し、これから何処に行くか、という点をみていく。結論から先にいうと、これから本稿で検討する仕組みは、

  • 異なる地にある道場にいって、その地の先生の指導を受け、その地の仲間たちとともに稽古をすること、
  • そして、可能であれば道場の関係者宅にホームステイをさせていただき、一定期間その地で生活する、

というものである。異国の道場にいくことがベストであるが、参加者の成熟度に応じて国内の道場でもかまわない。

柔道クラブへの留学のようなものであるが、馴染みのある表現を用いるならば、「武者修行」(http://http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%AD%A6%E8%80%85%E4%BF%AE%E8%A1%8C/)である。

なお、ここで「新しい仕組み」とはいったが、柔道を通じた交流は、様々な関係者が昔から実施してきたものであり、その意味で「新しい」ものでは全くない。本稿は、この武者修行を、組織的、計画的、継続的に実施しようという意味で「新しい仕組み」といってるだけにすぎない。

つまり、柔道の仕組みとして代表的なものは、なんといっても選手権大会であり、たいがいの柔道の修行者は、何らかの大会に参加する機会が与えられているが、本稿は、このような仕組みと同様(組織的、計画的、継続的に)、すべての柔道の修行者が、異国でホームステイをしながらその地の道場で稽古をする機会に恵まれることを企図している。

その詳細はこれからみていきたいと思うが、今回は、再び嘉納に遡ってみていく。

嘉納のような人間を育成する

さて、柔道の長期的な目標は、精力善用・自他共栄という原理を体得し、それを社会生活すべてに応用して生きる人間、「おのれの欲するところを行って他の人もそれに満足する行いを理想とし、それに向って日夕あらんかぎりの力を尽くそうと心掛けるような人」(嘉納・体系・6巻47〜48頁)を育成することである。

この目指すべき人間像を明確にすることが成果を出すうえで最も重要なポイントの一つになるが、これを端的にいうならば、嘉納のような人間を育成することである。

なぜなら、嘉納は、柔道という世界において、実際に精力善用・自他共栄を体得して社会百般に応用した最初の人間、すなわちロールモデルであり、そもそも柔道は、柔術の稽古を通じて「道」を体得した嘉納が自らの経験を世に広く分かち合おうとして作ったものだからである。

そこで、長期的な目標を達成する仕組みを考えるうえで核心となるのは、「嘉納のような人間を育成するためにはどうしたらいいのだろうか。」という問いだろう。

そこで、今回は、

  • そもそも嘉納はいかにして嘉納(精力善用・自他共栄を体得・応用した人)になったのだろうか、もし、嘉納を嘉納その人にしたきっかけを現代に再現することができれば、嘉納のような人間を育成することができるのではないか。
  • 嘉納は、どのようにして「嘉納のような人」を育成したのか。嘉納と同じことをすれば、「嘉納のような人」を育成することができるのではないか。

と考え、ここから新しい仕組みの胚芽を見出していく。

柔道と教育のきっかけ

そもそも嘉納はいかにして嘉納(精力善用・自他共栄を体得・応用した人)になったのだろうか、もし、嘉納を嘉納その人にしたきっかけを現代に再現することができれば、嘉納のような人間を育成することができるのではないか。

この点、嘉納には様々な顔があり、それぞれ無数のきっかけがあるが、もっとも嘉納らしさが現れている顔とは、なんといっても、柔道と教育、すなわち、講道館柔道の創始者と教育者としての顔だろう。それでは、嘉納は、どのようなきっかけがあって、柔道創始者となり、かつ教育者になったのだろうか。まず、柔道からみていく。

柔道創始

嘉納が柔道を創った経緯は第3回(第3回 ただ勝敗を主眼とする武技は維新後の時世に適せず。 - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜)でふれた。

嘉納が柔術を習い始めた理由は、学校でクラスメイトから殴られるなど「きわめて虚弱なからだであって、肉体的にはたいていの人に劣っていた。それゆえ往々他から軽んぜられた。」から、「たとえ非力なものでも大力に勝てる方法であるときいていたので、ぜひこの柔術を学ぼうと考え」たからである。

つまり、利己的な動機で柔術を習い始めたのであるが、柔術の稽古をしたところ、嘉納は、「柔術のため身体の健康が増進するにつれて、精神状態も非常に落ちついてきて、自制的精神の力が著しく強くなって来た」ことなどを実感することによって、「かかる貴重なものは、ただ自ら私すべきものではなく、弘くおおいに人に伝え、国民にこの鴻益を分かち与うべきであると考えるに至った」。

現代風に言うならば「なめられたくない」と思って柔術の稽古をしているうちに、世のため人のために柔術を再構築しようという利他的な動機が生まれたのである。

いったい、嘉納に何が起こったのであろうか。何がきっかけで、嘉納は、柔術を再構築して柔道を創ると決意するに至ったのだろうか。

優れた素質

もともと嘉納には優れた素質があり、恵まれた教育環境で育ったことは確かである。嘉納は、幼い頃から儒学や外国語を学び、当時の国家的エリートの養成機関である東京帝国大学文学部に進学して政治学と経済学を学び、その後、学習院の教師として政治学と理財学などを教えている。

斎藤孝氏は、国家的エリートとして国際的に活躍できる華やかなコースにいた嘉納が、何故、廃れゆく武術に目を向けたのか、という点について、ここに、恵まれた才能を世のため人のために用いるエリートの本当の姿が見えると指摘し(斎藤孝・代表的日本人54頁)、また村田直樹氏は、柔術の再構築という壮大な作業を支えたエネルギーは一体なんであったという点について、嘉納の生来の負けず嫌いという性格と、高度な知性に基づく科学的思考や合理的精神の存在を指摘する(村田直樹・嘉納治五郎師範に学ぶ31頁)。

このように嘉納には、磨き上げてきた優れた資質があり、これらが柔道の創始に大きな影響を及ぼしたことは疑いないが、ここでは、嘉納の資質ではなく、柔術を再構成しようと思うに至ったきっかけとなる経験をみていく。

三つの道場

それは、嘉納が柔術の稽古を始め、講道館を創設するまでの間に、師が亡くなったことに起因して、主に、三人の師に学び、三つの道場の仲間たちと稽古した、という経験である。

嘉納は、数え年18歳のとき(明治10年)、東京大学文学部に入学した頃、整骨師が昔の柔術家の名残であるという話を聞き、都内の整骨師を探しまわる。柔術はやっていない、又は昔やったことはないが今はやっていないという者がほとんどであったが、あるとき、日本橋人形町通りの整骨師で、昔、天神真楊流柔術を修めた八木貞之助氏に会い、同門の福田八之助先生を紹介してもらう。

この福田先生の下で嘉納の柔術稽古が始まるのであるが、約2年後の明治12年8月、この福田先生は亡くなる。そこで、嘉納は、福田先生の師匠にあたる天神真楊流の家元、磯正智先生に師事し、稽古を続ける。

しかし、この磯正智先生も、約2年後、明治14年6月に亡くなる。そこで、嘉納は、友人に紹介してもらい、徳川幕府講武所において教授方を務めていた飯久保恒年先生に師事し、起倒流柔術を学ぶ。この飯久保先生に習い始めて約1年後(明治15年5月)、嘉納は、講道館を設立した。

したがって、嘉納は、柔術の稽古を始めてから講道館設立まで、福田先生、磯先生、飯久保先生の三人の師に学び、三つの道場の仲間たちと共に稽古をしたことになる。

この三つの道場で学んだ経験がきっかけになって、嘉納は、柔術の研究に没頭することになる。その理由は、それぞれ先生の教えるところが異なっており、異なるということが新鮮な体験であったうえ、何が正しいか、自分で判断しなければならなかったからであった。

幼少のころに私は昔のいわゆる柔術というものを学んだ。ところがその柔術というものには根本原則がなかった。一人の先生は、人を投げるにはこういうふうに腰をもっていってこういうふうに手を引く、あるいは咽喉をしめるにはこういうふうにする、仕方はいろいろ教えられたが、こういう原理によるとか、この原理の応用だとかいう意味には一向教えられていなかった。

それゆえに段々と研究してみると、一人の先生の教えるところと他の先生の教えるところが違っている。どっちが正しいかということを判断する根拠がない。これが私が柔術に深い研究をやり始めた理由である。

結局いろいろの先生からいろいろの流派にわたって学んだけれども、一つの教え方と他の教え方が違った時には、どうしてこれを解決するかということに苦しんだ。それから段々研究の結果、ついに今のような原理を考え出したのである。己の果たそうと思う目的のために、精力を最善に活用すなければならぬ。それですべてが説き明かせた。(嘉納・体系1巻99頁)

特に、柔道を作り上げる上では、天神真楊流起倒流という二つの異なる柔術を学んだ影響が大きかった。

・この飯久保先生について始めて起倒流を習うたのであるが、これまで修得した天神真楊流とくらべて、かくまでもへだたりのあるものかと、驚きもしかつ感じもした。

我流では咽喉をしめるとか、逆をとるとか、押し伏せるとかいうことを主としている。投げもやるにはやる、巴投とか、足払いとか、腰技とか、やることはやったが、起倒流とはよほど掛け方などに違いがあることを発見した。

飯久保先生は当時すでに五十歳以上に達しておったが、乱取も相当によく出来たので、自分は熱心に稽古をした。最初はなかなか及ばなかった。

起倒流の形は天然真楊流のそれとはまるで主眼とする所を異にしている。自分は本気に新しい研究に没頭し、真剣にわざを練った。(嘉納・著作集3巻22頁)

ここで嘉納は、先生の指導内容や流派の違いにしか触れていないが、当然ながら、新しい先生や新しい仲間たちから様々な影響を受けているだろう。

ここから分かることは、もし嘉納が福田先生だけの指導を受け、その道場の仲間たちとだけ稽古をしていたら、つまり、福田先生のほか、磯先生や飯久保先生に師事し、その道場の仲間たちと切磋琢磨する機会がなければ、おそらく柔道を創るということはなかったのではないか、ということである。

異なる地にある道場に行き、新しい師に習い、新しい仲間とともに切磋琢磨する、このような経験があってこそ、嘉納は、柔術を再構築して普及させるという途にでたのである。

教育者

次に、嘉納が教育者になったきっかけをみていく。

嘉納が教育者になった理由については、第3回第2回 三つ児の魂百まで - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜でふれた。教育者としての略歴は、概ね次の通りである。

嘉納は、数え年23歳で学習院の教師となり、学習院教頭、熊本の第五高等中学校長、東京の第一高等中学校長などを経て、数え年34歳のとき、高等師範学校長となり、以来高等師範学校長として公教育の教師の育成に努め、数え年61歳にて退職。その後、貴族院議員などを務めながら教育に力を尽くす。 その間、中国からの留学生約3000人を受け入れ、体育の振興のためオリンピックを日本にもたらすなど様々な教育事業を行った。

このように嘉納は、生涯、教育者として力を尽くしたが、どのようなきっかけがあって教育者となる決意を持つに至ったのだろうか。

腰掛けとしての教師

そもそも嘉納は、大学在籍中、数え年23歳のときに学習院の教師となったが、当初は、今で言う「腰掛け」のような認識でおり、将来は、政治家などになることを考えていた。政治学や経済学を学んだのはその理由からである。

明治10年東京大学が創設せられ同大学文学部の初年級に入り、四か年の過程を経て明治14年政治学および理財学を専攻科目として卒業し、引き続き哲学の選科に入学したが、政治や理財を専攻した動機は、当時自分は、人間として最も有意義なる仕事をしようと思えば、政治学、理財学等の学問を修むるに如くはないと考えたからである(今日でいう経済学は当時の理財学の中に含まれておった)。
(中略)
明治十五年の一月から学習院に研修科というのが出来て、やや年長の生徒に政治・法律・経済等の課目を、一組には邦文をもって、他の一組には英書によって教える事になったので、私は招かれてその講師となった。もちろんその時は一生そうした道を辿ろうと決心したためではなくて、他日政治界や経済界に活躍する準備として、それに関係ある学問を教えつつまた研究もしようという考えであった。

しかし、嘉納は、もともと、人に教えることが好きな性分であることもあって、職務をこなすうちに、教師としての仕事のやりがいなどを感じてくる。

ところが、そのうちに教授になり、幹事となり、教頭になるに及んで、専門の学問のみならず、教育一般の事に関する研究にも力を尽くさねばならぬ必要が生じてきた、元来私は人を教えるという事には興味をもっておったから、役目の都合上そういう事にたずさわる事はけっして迷惑ではなかった。

ヨーロッパ視察旅行

しかし、この段階であっても教育者として生涯を生きると決めたわけではない。嘉納に決定的に影響を与えたのは、数え年30歳のとき旅立った、1年4ヶ月(明治22年9月から明治24年1月)にわたるヨーロッパ視察旅行である。*1

嘉納は、往復の航海の期間を除き、約1年2ヶ月間、欧米の学校や文部省、大学を訪問し、次々と学校関係者などに会い、話を聞いていった。主にドイツとフランスの教育を中心に見たようであるが、例えば、著名人だと、フランス第三共和制における公教育の中立性、いわゆる「ライシテ」の立役者であるグレアールやヴュイッソン、大日本帝国憲法を制定した伊藤博文憲法を講義した法学者グナイストなどに会っている。

嘉納は、政治家や宗教家にも関心をもっていたが、このヨーロッパ視察旅行をきっかけとして、政治や宗教より教育のほうが意義があると考え、教育者として生きることを決める。以下、少々長くなるが、嘉納の回想を引用する。

・・そこで、明治二十二年九月、宮内省より「欧州行被仰附」という辞令を受け、ただちに横浜を発しマルセイユに向い、しばらくパリ、ブリュッセル等に滞在の後、同二十二年末ベルリンに到着した。ベルリンには約7カ月滞在し、その後、同処を本拠として英露墺その他欧州の主なる国々を巡回して、明治二十四年の春帰国した。

私は、元来、政治学、理財学を専攻した関係上、欧州に行っても主としてその方面の学問を研究し、余暇をもって教育一般の事も視察してきたいと考えておった。

ところが私のベルリン滞在中、当時の宰相ビルマルクが職を去り、カプリヴィがその後をついた。ビスマルクは人も知る当時の世界的な人物で、飛ぶ鳥も落とす人気と権力とをもった大政治家であったが、一度その職を去ってしまうと、多数の人からの尊信は一時に薄らぎ、世界に対してはもちろん自国においても、その勢力において在職当時の面影はほとんどなくなってしまった。

それを眼のあたり見て私はつくづく考えた。ビスマルクのごとき世界的の大人物ですら、なおかくのごとくであるとすれば、普通の文武の大臣などは一度野に下った後の声望は実に語るに足りないものであろうと。

不世出の英雄と呼ばれたナポレオンですら、今日ある人は「ナポレオンはナポレオン法典とビートルートのほかフランスに何を残したか」などと評するものがあるくらいである。ナポレオン死してわずかに百年余りの今日すでにかくのごとき有様である。その他古く歴史上にあらわれる文武の功労者、英雄、豪傑なども多くは皆この類である。

政治も軍事も尊重すべき人間の事業には違いない。しかしながら、最も大いなる志を有する者の真の志を満足するに足るべき大事業であるかどうかはすこぶる疑問である、と自分はつくづく感じた。

宗教も私はかねてから、偉大な力を有してるものであると思っていた。東京を出発して欧州に赴く前、京都に行って東本願寺の新建築を見た時、短日月の間にこれだけの大建築をなしとげた宗教の偉大な力を痛感した。かつ、京都における大建築物の多くは寺院であった。また欧州に行った時マルセイユから、リヨンに立ち寄った。その時サンフルヴィエの大寺院の新築が出来たばかりで大いに旅行者の注意を惹いた。

日本で見た東本願寺の大伽藍、リヨンで見たサンフルヴィエの寺院、いずれも人をして宗教の力がかくのごとき建築を可能ならしむるのであるかという感を起さしめた。その後ドイツでケルンを訪えば過去幾百年の歳月を経て出来あがったケルナードームがあり、英国に杖を曳けば、ウェストミンスター・アッベーあり、セントポールル・カセドラルあり、ロシアに旅すれば、イサックあり、カザンあり、その他欧州いたるところに大寺院が聳えたっていて、宗教の偉大な力は四隣を圧していた。目に見ゆる大建築物のあるがごとく、これまで宗教がヨーロッパの精神界に及ぼした力の偉大であった事も歴史が証明しているところである。
 
しかしながら、それからそれへと諸国を経巡って、種々の事実を目撃し、またいろいろの人と、腹蔵のない意見の交換をしてみると、宗教が人間の上に偉大なる力をあらわし得たのは、もはや過去の事であって、現在より以後将来においては、宗教によって大いなる力を後世に及ぼす事は望み得られない事であるという結論に到達した。

しからば、幾千年の後まで人間の上に偉大な力を及ぼし得るものは何であろうか。

それは教育の事業である。昔は人間が自然の力を駕御することが出来ず、これを恐れ疑うよりほかに道がなかったのが、今日はこれを研究してある程度までこれを支配し得るようになったのは科学の研究の賜物であり、この科学の研究の結果を促進せしめたものは教育の力である。生まれて善悪の何たるかを弁えぬ、無智文盲の者に正しい理想を与えその蒙を啓くのも教育の力である。

ここにおいては私は、この人間を導き、人間を作り、科学の研究をすすめる教育の事業こそ後世までも人心に最も偉大なる力を及ぼすものである事をしみじみ痛感して、これをもって自分の終生の事業たらしめんと深く決心するに至ったのである。(嘉納・体系10巻355頁〜357頁)

「かわいい子には旅をさせよ。」という格言があるとおり、旅が人を大きく成長させることは良く知られている。教育に仕組みとして取り入られたものとして最も著名なものは、18世紀の英国の貴族の教育方法であったグランドツアーグランドツアー - Wikipediaだろう。

生涯の方向を決定

加藤仁平氏は、このヨーロッパ視察旅行は、嘉納の「生涯の方向を決定したといってもよいほど大きな意義をもっている」と指摘する。

嘉納は一生のうちで前後9回欧米を視察したが、第一次の洋行は生涯の方向を決定したといってもよいほど大きな意義をもっている。学習院教育といったような一つの立場にとらわれぬもっと自由な立場に立って、何か、総理大臣の仕事よりも、千万長者のそれよりも偉大なものを見出そうと、胸をふくらませながら欧州各地を見て歩いた。

はじめはサン・フルビエール等を見て「宗教ほど偉大なものはないとと心が動いたが、欧州では宗教は抜けがらだ。未来なしと看破したから教育者になった。」というのである。欧州の宗教をぬけがらと見ることの是非は別として、嘉納としてはこの旅行を通じて、断然宗教をすてて教育第一主義におちつくこととなった。このことはその後の教育や柔道に合理主義を以って一貫することとも関連をもつ。

まのあたり鉄血宰相ビスマルクの失脚を見たことにも大きな意義がある。「政治家も一度地位を失うと仕方がない。ナポレオンも没落してからは、フランスに残した何ものもない。人間として生まれて偉大な仕事をするためには、何としても教育だと思うようになった。桂が何を残した。伊藤だって人間を支配することは少ない。大いなる志をもつもののやるべきことは教育が第一であると、かくして主に教育に着目して帰った。」と語っている。

世界的な大政治家に対するこうした批評はともかくとして、嘉納がビスマルク、ナポレオン、伊藤博文桂太郎らの歴史的な偉業と比較して教育にこれほどまで重大な意義を発見したこと、そしてそれに生涯をささげたことは事実であり、しかもそれが単なる夢や希望として終わらなかったことも事実である。

明治以来、大宰相の印綬を帯びたものは少なくないが、死後年を追うてその業績の光を増すこと、嘉納のごときが果たして幾人あるであろうか。嘉納の生涯こそは、世の青年教育家に大いなる夢と希望を与える無二の福音というべきものではなかろうか。(加藤仁平・嘉納治五郎96頁)

以上から分かることは、もし、嘉納がこの海外への視察旅行にいかなければ、教育の偉大さを真に理解し、教育者として生涯を生きるということはなかったかもしれない、ということである。

異国の地を踏み、自国の文化と異なるものに触れること、

このような経験こそが、嘉納をして、教育者として生きるという決意をさせ、教育における精力善用・自他共栄の道を歩みだしたきっかけになったといえる。

新しい仕組み

以上、「嘉納のような人間を育成するためにはどうしたらいいか。」から「嘉納は、どのようなきっかけがあって柔道創始者となり教育者となったのか。」という問いをたて、そのきっかけを二つ取り上げた。

いずれにも共通するのは、それまでの日常と異なる世界にいる人々に触れたことである。多様性こそ創造性の源であるいうことはよく言われることであるが、嘉納は、異なるものに触れることを通じ、嘉納その人になっていたのである。

そこで、本稿が提示する仕組みは、

  • 異なる地にある道場に行き、一定の期間、その地の先生の指導を受け、道場の仲間たちとともに柔道をする機会を、あまねく柔道修行者に提供する

ことである。外国の道場が最も適当であるが、年齢など本人の成熟度に応じて、国内の道場でももちろんかまわない。

海を渡り、見ず知らずの道場にいって稽古をし、その地で一定期間生活をすること、これは、特に青少年にとっては、まさしく「冒険」である。そして後にふれるが「英雄の旅」である。

異なる世界に行き、うまく意思疎通ができない、うまく人間関係が築けないなど種々の困難に直面しながらもそれを乗り越え、道場の先生や仲間たちと絆を結び、涙があふれてとまらないような別れをして、一回りも二回りも大きくなって還ってくる。このような「武者修行」の機会があれば、嘉納のような人間を育成することができるのではないだろうか。

嘉納の教育方法

さて、もう一つの問いにもどろう。「嘉納のような人間を育成するためにはどうしたらいいのだろうか。」という問いから、次の問いを立てる。

  • 嘉納は、どのようにして「嘉納のような人」を育成したのか。嘉納と同じことをすれば、「嘉納のような人」を育成することができるのではないか。

嘉納が行ったことは無数にあるが、本稿が着目するのは、嘉納塾と宏文学院(中国人留学生への教育)である。

嘉納塾

嘉納塾については、本稿の第9回から第11回でふれた。

嘉納は、数え年23歳(講道館設立年)に、知り合いの子弟を預かり、起居をともにしてし、以後38年間、約350人の子弟に教育を施した。それでは、何故、嘉納は、嘉納塾を開いたのか。

それは、「親の膝下にあってはついあまやかされて自然的に困苦欠乏を味わい得ないという人々」は、「一身を誤ってしまう。」おそれがあるから、他人の飯を食う機会を提供する必要がある、と嘉納は考えたからであった。

わが塾においては、幼年の時分から労働を貴ぶことを教え、困苦欠乏に慣れさせるように努めている。あえてわが親愛なる塾生を苦しめてよいと思っているわけではない。しかし、自分は、幼年の時分から困難を忍び労働に慣れるということが、他日、困難なる事業に従事し、繁劇なる世に処して屈しない実力を養う最上の手段であると考えるからである。

自分は、目前の愛に引かされて、子供にわがまま勝手を許した家庭の子供を多く見た。かくの如き子供は、自分の務めを尽くすことを知らない。他人のためになさねばならぬ義務も、自分の気の向かぬ時にはこれを怠り、自分の発達のために必要なる勤勉も、自分の気に向かぬ時にはこれをなさない、学校に通うことがいやになると学校を休む。厳しく咎められれば偽りをいう、遂にかくの如き子供はその一身を誤ってしまう。
(中略)
当時自分のものに托せられた子供の中には、財産も豊かで書生や召使などから大事に取り扱われるために、ついわがまま・懦弱に流れるというものもあり、また本人必ずしも悪くはないのであるが、境遇のために邪道に陥るというようなものもあったりするので、いずれの親からも厳格な教育をという注文を受けた。

自分自らも、昔から困窮の間に人となったものは自然精神も確実で、敢為の気象も養われ、やがて有為の人物になっていると信じていた。それで親の膝下にあってはついあまやかされて自然的に困苦欠乏を味わい得ないという人々は、塾において修行する必要があると信じたのだ。

親元を離れ、教師や仲間などの他人とともに生活をしながらする教育は、イギリスのパブリックスクールや寄宿学校ボーディングスクール - Wikipediaが著名であるが、教育として効果があることは広く知られているだろう。

江戸時代後期の大原遊学大原幽学 - Wikipediaの換え子教育(子どもを一定期間、他人の家に預ける)もあげられる。

このように、嘉納は、嘉納のような人間を育成するためには、「他人の飯を食う」経験が必要であると考え、嘉納塾を開いて、子どもたちと起居をともにした。したがって、柔道の修行者に、特に青少年に対し「他人の飯を食う」機会を提供することは、嘉納のような人を育成するうえで大きな効果があるではないだろうか。

宏文学院

もう一つは、宏文学院である。
嘉納は、13年の間に、中国からの留学生8000人を日本に受け入れ教育を提供したが、それは東亜民族ひいては「人類の共栄」(講道館文化会)のためであった。

宏文学院は、中国の学生を教育することによって、東亜民族の共栄を計ろうとする嘉納の遠大なる理想に基づいて建てられたもので、和田猪三郎の報告に「先生はこの教育事業について随分多額の資財を自ら弁じて居られることをひそかに知り驚嘆した」とあるように経済的にも大きな犠牲を払いながらの奉仕であった。(加藤仁平・嘉納治五郎137頁)

嘉納は、自らのヨーロッパ視察旅行の経験から、外国で学ぶことの影響を良く知っていたのだろう。先にふれたことと重複するが、嘉納のような人間を育成するためには、異国の地で学ぶことが効果があると考え、国内外を問わず、そのような機会を積極的に提供したのである。

まとめ

以上より、本稿は、柔道の長期的な目標を確実に追求する新しい仕組みとして、

  • 異なる地にある道場にいって、その地の先生の指導を受け、その地の仲間たちとともに稽古をすること、
  • そして、可能であれば道場の関係者宅にホームステイをさせていただき、一定期間その地で生活する、

という機会をあまねく柔道の修行者、特に青少年に提供することを提案する。

要は、柔道クラブへの留学であり、武者修行であり、道場を中心に形成されるコミュニティーを活用して「かわいい子には旅をさせよ」と「他人の飯を食う」という機会を作り出すものである。

また、この冒険に旅立つことは、嘉納が三つの道場にいって柔道を作り上げ、ヨーロッパ視察旅行にいって教育者として生きる決意した経験をなぞらえるものであり、

この冒険に旅立った者を受け入れることは、嘉納が嘉納塾を開いて、多くの子どもたちに対し、「他人の飯を食う」機会を提供し、また、中国人留学生を多数受け入れ、異国で学び生活する機会を提供したことをなぞらえるものである。

以上、今回は、嘉納の足跡から新しい仕組みの萌芽をみてきたが、次回は、柔道におけるこれまでの仕組みと比較しながら、新しい仕組みをみていきたい。

*1:嘉納は、船で欧米に向かう途中、上海、広東、香港、サイゴンなどに立ち寄り、フランスのマルセーユ到着後は、リヨン、パリ、ドイツのベルリン、南ドイツ、スイス、オーストリア、ロシア、スウェーデンデンマーク、オランダ、イギリスなどを視察し、帰国途中は、アフリカのアレキサンドリアからカイロ、スエズのイスメリア、英領エーデン(南イエメン)、コロンボスリランカ)、サイゴンベトナムホーチミン市)香港、上海に立ち寄っている。

第一部 目次(全44回)

このブログはNPO法人judo3.0のウエブサイトに移行しました。


2010年8月7日(第1回)から2013年8月31日(第43回)まで、約3年にわたって本ブログで想い描いた未来の柔道教育につきましては、2015年1月から、実際にカタチにするべく活動を始めました。
この活動につきましては、NPO法人judo3.0のサイトに掲載されております。(上記のサイトにて、WEBメディアもはじめ、先進的な取り組みを記事にして発信しています)。

このブログで綴られた構想がリアルの世界でどのような化学反応を起こし、現実と構想が変化していくのか、ぜひご覧になっていただけたら幸いです。
もし、この長文のブログを読んでいただき、共感くださった方と、一緒に活動ができたり、活動にご協力いただいたり(常時サポーターを募集しています)、お酒を酌み交わしながら語り合えることができたら、これほどうれしいことはありません。

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<目次>
■第1部 柔道は何処に行こうとしていたのか。

第1 問題の所在/(第1回 柔道は「良い子」を育てるか。 - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜)

  • 昨今の柔道は、勝ち負けにのみ拘泥しがちで、人間教育として十分な効果を挙げていないらしい。
  • 柔道が「人間教育」として効果を挙げるためにはどうしたらいいのか。
  • 「成果」を定義しなければ「成果」を出すことはできない。
  • それでは、人間教育としての柔道が目指す「成果]とは、一体、何なのか。つまり、嘉納治五郎は、柔道を通じて何を目指していたのか。

第2 嘉納治五郎の柔道と教育
1 嘉納治五郎はどのような人間を育成しようとしたのか。
(1)嘉納治五郎とは?
a)教育者/(第2回 三つ児の魂百まで - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜)

  • 当時の日本を代表する教育者である
  • 教育者を選んだ理由
  • 高等師範学校の校長を選んだ理由

b)柔道を創った経緯/(第3回 ただ勝敗を主眼とする武技は維新後の時世に適せず。 - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜)

  • 柔術を学んだ理由
  • 柔道を作るきっかけ
  • 柔術と柔道の違い

c)精力善用・自他共栄を創った経緯/(第4回 将来臍を噛んでも取返しのつかぬようなことに立至る。 - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜)

  • 講道館文化会の設立
  • 精力善用・自他共栄の発見までの40年
  • 精力善用・自他共栄を世に唱えなければならなかった理由

(2)精力善用・自他共栄の人間像とは?
a)精力善用
イ)doing/(第5回 概念の技化 - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜)

  • 精力善用の内容
  • 精力善用の具体例
  • 概念の技化

ロ)being/(第6回 なんとかなるわい。 - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜)

  • 精力善用とスタンス
  • 精力善用のエピソード1
  • 精力善用のエピソード2

b)自他共栄/(第7回 心の欲するところに従い、矩を踰えず。 - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜)

  • 自他共栄の機能:紛争解決、道徳の説明原理、修身の指針
  • 人が幸せになる方法
  • 道徳教育の役割

c)人間像/(第8回 おのれ自身の我儘を抑えて他のために尽くし得る力を養う。 - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜)

  • 乱取の仕方
  • 普通教育が目指す人間像
  • 嘉納塾が目指す人間像

(3)補足:嘉納塾の教育方針からみる人間像
a)嘉納塾の概要/(第9回 嘉納塾1 わがまま勝手を許した家庭の子供は一身を誤る。 - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜)

  • 嘉納塾をつくったきっかけ
  • 嘉納塾の必要性
  • スケジュール
  • 教育方針

b)嘉納塾の教育方針1(嘉納治五郎の講話)/(第10回 嘉納塾2 克己の力を養う。 - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜)
c)嘉納塾の教育方針2(嘉納治五郎の講話)/(第11回 嘉納塾3 おのれが十のものを与えて三か四をとるようにしろ - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜)


2 嘉納治五郎はどのような方法で育成しようとしたのか。
(1)方法論/(第12回 本当に耳にタコができるぐらいお話をされていました。 - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜)

(2)徳育としての体育
a)徳育としての体育が何故有効か?
イ)嘉納治五郎の視点/(第13回 道徳は独立の課目としては教えない。 - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜)

ロ)脳科学の視点/(第14回 SPARK - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜)

  • うつ病に対する運動の治療的効果
  • 脳のメカニズム
  • 社会に適応する方法としての運動

ハ)成功例(米国ネーパーヴィルの体育)/(第15回 米国イリノイ州ネーパーヴィルの奇蹟 - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜)

  • 運動と成績の関係
  • スポーツからフィットネス、能力ではなく努力を評価、体育を軸としたカリキュラム
  • 社会性を身につける体育、暴力と貧困をなくす体育

b)嘉納治五郎が創った体育(柔道以外)
イ)オリンピック/(第16回 欧米のオリンピックを世界のオリンピックにしたいと思った。 - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜)
ロ)精力善用国民体育/(第17回 精力善用国民体育 - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜)

(3)教師の育成/第18回 男一匹、かけがえのないこの生涯をささげて悔いなきもの。 - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜

3 嘉納治五郎は誰を育成しようとしたのか。
中国人留学生の教育事業(作成中)/(第19回 中国人留学生の教育事業(作成中) - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜)

第3 検討
1 問題の捉え方と原因
(1)長期的目標と短期的目標のバランス/(第20回 道に順って負ければ、道に背いて勝ったより価値がある。 - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜)

  • 問題の確認
  • 嘉納治五郎が見る競技としての柔道
  • 長期的目標と短期的目標のバランス

(2)長期的目標が見失われた?理由/(第21回 ズルズルと、便法にしたスポーツ論に溺れてしまった。 - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜)

  • 成果の定義が難しい
  • GHQ占領政策
  • 柔道のオリンピック種目

2 スポーツ・伝統からみる柔道の長期的目標の意義
(1)柔道とスポーツの違いから/(第22回 武術という根を断てば、勝つことを目的としたスポーツとなる - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜)

  • 暴力との対峙
  • 教育という原点
  • 文化・伝統

(2)日本の文化と伝統から/(第23回生き方の基本は、伝統とのかかわりの中で見出すべき1 - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜)
a)「道」に内包する日本の文化・伝統

  • 個々から普遍
  • 身体から心
  • 究極の境地は修行そのもの

b)柔道と日本の文化・伝統/(第24回 生き方の基本は伝統のかかわりの中で見出すべき2 - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜)

  • 近代の学校制度
  • 文化伝統の承継としての柔道
  • 文化伝統の普遍化

3 柔道人口の減少と柔道の長期的目標/(第25回 特殊の人の柔道から国民の柔道へ。 - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜)

  • 柔道人口の減少
  • 嘉納治五郎が考える柔道人口減少の原因と対策
  • 「如何にすれば今日の柔道を国民の柔道となし得るか」(嘉納治五郎73歳(昭和7年)の論文)


■第2部 柔道はこれから何処にむかうのか。

第1 新しい仕組みの内容

1 嘉納の足跡から新しい仕組みを見出す(第26回 「かわいい子には旅をさせよ。」と「他人の飯を食う。」 - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜
(1)新しい仕組みの概要
(2)「かわいい子には旅をさせろ」

  • 柔道を創るにいたったきっかけ
  • 教育者になる決意をしたきっかけ

(3)「他人の飯を食う」

  • 嘉納塾
  • 弘文学院

2 仕組みの内容とその可能性(第27回 新しい仕組み内容と可能性 - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜)
(1)はじめに

(2)特長
a)「他人の飯を食う。」「同じ釜の飯を食う』経験

  • 経済開発協力機構の教育の目標に関する研究
  • 子どもの教育に大人が関わるコミュニティを創る。

b)「かわいい子には旅をさせよ。」

  • 財団法人ラボ国際交流センターの取り組み
  • 新しい神話と通過儀礼

c)柔道を中心としたプログラム

  • コミュニケーションツールとしての柔道
  • 教育を提供する側の喜び

(3)対象者
(4)実施場所
(5)実現に必要なこと
a)「スポーツ」から「教育」への認識の転換」
b)「プラットフォーム」

  • プラットフォームの機能
  • プラットフォーム運営組織の在り方、参考「ソーシャルビジネス」

第2 何故、新しい仕組みが必要か。
1 柔道の見地から(第28回 柔道の理想と新しい仕組みの必要性 - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜)
2 教育の見地から

3 日本の国家戦略の見地から
第36回 これからの日本からみた柔道(1) - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜
第37回 これからの日本からみた柔道(2) - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜
第38回 これからの日本からみた柔道(3) - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜
4 神話と通過儀礼の見地から
第39回 これからの地球からみた柔道(通過儀礼〜神話と祭り〜)(1) - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜
第40回 これからの地球からみた柔道(通過儀礼〜神話と祭り〜)(2) - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜
第41回 これからの地球からみた柔道(通過儀礼~神話と祭り〜)(3) - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜
第42回 これからの地球からみた柔道(通過儀礼~神話と祭り〜)(4) - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜
第43回 これからの地球からみた柔道(通過儀礼~神話と祭り〜)(5) - 勇者出処 〜嘉納治五郎の柔道と教育〜